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反日上等!(はんにち・じょーとー!) のことを語る

マイノリティって、主流派・多数派から圧迫を受けてる存在です。
たぶん、在日朝鮮系の人も圧迫を受けているのは確かです。日本人が主流の日本の文化のなかで、少数派が固有の文化を守るって、大変なんだとおもうんすよ。でもって、弱いながらも日本においては民族を守る「盾」として朝鮮学校等の民族教育があるわけっす。ただし各種学校って扱いのことが多いのですが。
で、ゲイ・レズ・バイが性的マイノリティに限定されてるのは気になってるんすけど性的マイノリティの場合ってのは、集団でも文化の問題でもなくて、普段は普通に暮らしてて、でもきわめて個人的な私空間での行為ってのがかなりその人たらしめてる「固有」の部分なんすよ。民族問題と違って集団で団結することもないから「盾」もないっす。また性的マイノリティの問題って、その国の固有の道徳観念と深くかかわってきます。で、世界共通の普遍的な概念である民族自決権とかが絡んでくる少数民族問題と同列に語っていいのかなあ。なんか違うんじゃないか。同じ少数派であっても目指すべき問題解決は同じでも、感覚的に違和感があります。だって、帰る場所なんかないんだもん。性的マイノリティって。
でもって、少数民族も性的マイノリティも、現実的には相互に浸透し合います。そこで問題のなるのは、主流派・多数派への同化を精神的にも具体的にも強制されるところなんすけど、そういった問題の解決ってのは「違いを残したままどうやって共存するか」なんじゃないっすかね。言うほど簡単じゃないっすけど。
でもって、仮に共存しようとするときには、多数派も少数派もその違いってのを否定したらまずいんじゃないっすかね。漢字もそうなのですが、漢字という文化を否定すべきっていう考え方は、差異を認めないっていう、独善的発想になりませんかね。
反日系の特定の政治思想をもつ人は靖国無くせとか、よく宗教をないがしろにすることがあるんすけど、それをうけて神道の人たちがなんで先鋭化するかって云ったら、自分たちの信仰が思想によって抑圧されるからっすよ。この国信仰の自由があるにもかかわらず、抑圧否定の危機に晒されてるわけっす。この事態をどう思うかが少数派を考える上でリトマス試験紙みたいなところがあるんじゃないか。
被抑圧者ってのが、抑圧者にもなりうるんすけど、もし仮に「ひどいことされたんだから否定していいじゃない」っていう発想であるならそれは抑圧の再生産にすぎないわけで。
正義という名を借りた復讐譚なら、話は別ですが。