差別ってのは差異があったとき、その差異をなかったかのようにして、制度的に・精神的に同化を図るっていうことだと思ってるんだけど、差異がわかるかどうかというのは知識うんぬんというよりも、おそらく観察眼と育ちなのかなあ、という気がしないでもない。
差異があるときに、差異を残したままどうやって共存するか、ってのが求められることなんだけど、たとえば昆虫追っかけたりとかしなかったら、もしくは挫折とかをしなかったら、あんまり気がつかないのではないかなあ、という気が。
自分(id:gustav5)のことを語る
