[芝浜][アニメを観てないけど落語のこと]
芝浜で財布を拾っちまった(かもしれない)酒好きの魚屋の男の話が「芝浜」です。濡れ手に粟で大金が手にはいって、しめた!と思ってうちに帰っておカミさんに話して大酒を飲むのですが、次の日起きてみると
「夢でもみたんじゃないの?」と。
そんなことあるか、というのですが、しばらくすると「そうかもしれないな」とおもいはじめます。酒の席でべろんべろんに酔って、昨日のことを詳細に覚えてないことがある人なら、わからんでもない話です。酒癖の悪さを自覚して酒断ちを誓って、まじめに働きます。
商売が順調になった数年後の大晦日、「怒らないでおくれよ」と前置きしたうえで、おカミさんが大金の入った財布を出してきます。拾ったはずの財布です。財布はこっそりカミさんが長屋の大家さんに相談して、横領でお縄頂戴になったらまずい、ってんで「夢≒なかったこと」にしておき届け出て、だれも落とし主が現れずに戻ってきたので出したのです。芝浜を掛ける人によって、このおカミさんの造形がたぶんちがってきます。いいオカミさんにするひともいるのですが、晩年の談志師匠はこのおカミさんにわたしもお金が欲しかったというニュアンスのことをいわせるのです。
いまでも語られる昔からの演目というのはどこかいまにも通じるところがあるはずです。それがなんなんだろ、というと答えがでないですがそれが犯罪と知りつつも芝浜だと落し物の財布をひろってよろこんで大酒かっくらってしまうような人の弱さとかなのかな、と。道を外さぬように夢にしちまう賢さのうしろで目立ちませんが、人の弱さって、変に人を揺さぶったりしないでしょうかって、もしかしたらそんなことないかもっすが。
家元は賢いおかみさんの出てくる「芝浜」をそこらへんのいい話にしないで、人の弱さを浮き彫りにして、問うたのではないかなあ、と。
自分(id:gustav5)のことを語る
