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自分(id:gustav5)のことを語る

ライトノベルズってのをよく知らないし、村上春樹さんの良い読者とも思えないのだけど、「物語というものが気持ち良いものでいいのか」という問いに対しては、なんとなくそれは違うんじゃないの、という意識はある。もちろんそういう物語というのがあって、それを欲している人がいるのはわからないでもないけど、それはあくまで逃避でしかない。逃避が悪いのか、といわれたら、悪くはない。でもそこにずっと安住しつづけるのは、石の洞窟に閉じこもる・でてこれなくなった山椒魚と一緒のような気が。
じゃあ良い文学・良い物語があるのか、といったらそれはわからない。
村上さんの作品に木野というひとがいて、奥さんが浮気してるんだけど、浮気してても傷つかないふりをして、しかし実際は傷ついてて、つまり蓋をしてるんだけど、そのふたが開く話があって(なんだか日本語になってなかったらすいません)、つまりかなりしんどい話なんだけど、前に毎日に本人の解説がのってて、「何か新しくつかみとろうとすればプラスの分だけネガティブなものが生じ」「プラスのものを確保しようと思えばネガティブなものも代償行為として引き受けなければいけない。そうしないと人は生きてる意味がないと思う」と書いてて、おのれのあたまのなかではなんかこう、回路がつながったというか。「ネガティブなものに対抗するためにはポジティブなものを自分で打ち立てなければいけない。そのためにはネガティブなものをはっきりみなくてはいけな」ってのも含めてなんすが。月並みなんだけど、再生っていうか作り直せるっていうか、それをフィクションにのせて語るのは文学とか物語として重要なんだとは思う。おもしろいかどうかは別として。
ただそれらしんどくない物語を受容するだけの素地が、いまの日本にあるか、っていったらどうなんだろう。