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自分(id:gustav5)のことを語る

すこし前に出雲大社で皇后のスピーチを転載した小冊子を配ってて、印象的だったのが悲しい話をなぜ読まされたかで、悲しい話を読んでおくことでその存在を知り、悲しいことに関しての準備ができた、というニュアンスのことを述べていた。悲しさの準備っていうことは・悲しい話を読むことでタフになっておくことは、フィクションの効能のひとつであると思う。
悲しさというのとはまた別種のことなんだけど、「苦労」というのもまた大きな苦労の前にほんとは準備しておいたほうが良いのではないか、というのがあって、おそらくその延長線上に「若いうちの苦労は買ってでもしろ」ってのがあったのかもしれない。常にタフである必要はないんだけど、でも多少のタフさは兼ね備えていたほうが良いややこしさがあるんだけど、タフであることは苦労の結果によってしか得られるわけでもないから、ちょっとややこしい。苦労は買ってでもしろってのと、苦労していいことがありましたかという設問にずっとのどに小骨がひっかかったような違和感があったんだけど、言語化してももやもやはあまり変わらないなあ