高いつもりで低いのが教養ってあったけど、教養って知らないことを身体の中に取り入れるときに役に立つだけであって、高低を競うものではないような。
教養があったとしても・他人の知らないことをたくさん知っていたとしても、つかわれない百科事典とか雑学辞典と同じで、使わなければ単なる断片で、たとえ断片が大量にあったとしても、いつか役に立つぞという夢をその人に与えるだけであって、その人の本質になんの影響を与えもしないのではないかなあ、と。
いざというときに吸収した教養とやわらかい頭を駆使して、ものごとをみて解析するときに役に立てばいいきわめて個人的なものであって、高さを競ってどうするの、という気が。思春期の男の大きさを競うような三本目の足じゃないんだからさ。
自分(id:gustav5)のことを語る
