鷹峯に本阿弥光悦が家康から土地を与えられて住んだ場所があって、光悦にゆかりのある工芸家とかを引き連れて鷹峯に住むことになります。その場所について深くはいままで考えたことがなかったのですが、光悦の屋敷跡といわれる光悦寺は洛外にあたるので、家康というのはもしかしたら茶人とか芸術家を遠ざけたかったのかなあ、と考えちまいました。考えすぎかもしれませんが。

自分(id:gustav5)のことを語る

鷹峯に本阿弥光悦が家康から土地を与えられて住んだ場所があって、光悦にゆかりのある工芸家とかを引き連れて鷹峯に住むことになります。その場所について深くはいままで考えたことがなかったのですが、光悦の屋敷跡といわれる光悦寺は洛外にあたるので、家康というのはもしかしたら茶人とか芸術家を遠ざけたかったのかなあ、と考えちまいました。考えすぎかもしれませんが。
