私はゲイタウンに行ったことがないし、この先も行くつもりはないんだけど、ゲイの人はゲイタウンという帰るところがあるから強気に出れるしその場を強化する・権利を強化することを考えるのは自然の流れかなあ、とは思う。可視化できる存在に、という流れも理解できる。
私はいわゆるクローゼットなので可視化に参加するつもりはない。というかゲイっていえるかどうかもわからないのだけど、なんだろ、LGBTという言葉はその存在を可視化すると同時に、それを名乗れる人と名乗れない人の間に壁を改めて作ってしまった気がしないでもない。
自分(id:gustav5)のことを語る
