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自分(id:gustav5)のことを語る

[世の中言葉を信用しなくなってきてるのかも、ということについて]
15年くらい前に大江さんがネットが発達したらみんな世界とつながって交流するのではなくてタコツボの中に入ってしまうのではないか的なことを述べてた記憶があって、ちょっと前から大江さん正しかったな、って勝手に思ってるんだけどって、それはともかく、おそらくツイッタの影響で、誰もが容易に自分の言葉で言葉を述べられるようになったものの、(ハイクは別として)短い文字の中で発信しなくちゃいけなくなったわけなんだけど、ひとつだけ難点があって文字数に短い制限があるので自分の言葉で発信するときに「自分の言葉≒自分勝手な言葉」になりかねないわけです。ほんとは相手がわかるように説明すればいいんだけど、常にそれができるとは限らない。だから同質性のあるひとだけ集まりやすくなる。同質性が担保されてれば余計な説明をしなくていい。ゆえに、どんどん同質性のある人たちだけでどんどん純化してく。そうなると「他人がわかる言葉」というのを云わなくて済むわけっす。そうなるとどうなるか。みんな語彙は細くなってゆく。顔文字をつかう→'`ィ(´∀`∩、絵をつかう、ってなふうになってくる。純化した集団の中では言葉は過激になってくる。内輪でしか使わない言葉があふれる。でもそれはその集団の中でしかわからない。
世の中どんどん「他人がわかる言葉」はつかわれなくなってくるので、言葉が信用できなくなってくる。
それが悪いのか、っていったら判断は留保するけど、「他人がわかる言葉」をどんどんつかわなくなっていったらその輪っかの中に入れなかったら苛立ちも増えるだろうし、「判らないやつがバカだ」とかの差別的な考え方もそのうちでてくるだろうし、日本語のあり方もかわってくるのかもなんすが。
つか、おのれの誇大妄想ならいいんだけど、タコツボっていってたことが当たっちゃったなあ、という意識が強い。