[栗本薫・中島梓さんの最期]
○中島さんの本で以前読んでいたのが「アマゾネスのように」という乳がん闘病記で、私の死んだ母親は乳がんであったのですが、術前に事前に副作用などを含め、どういうことが起きるか予習しておき、わりと役に立ちました。ここ最近、晩年の「転移」という闘病記が出版されていることを知り、母を看取ったようにちょっと影響をうけた中島さんの最期にちゃんと向き合おうと考えて読んでいました。
○「転移」という表題どおり、乳がんの術後16年後にすい臓がんになりさらに肝臓に転移し、昏睡状態にいたるまでの記録です。抗がん剤の投与期間と休薬期間の体力のこと、いつまで生きていられるかということや、生きてる気力が萎えてるときとそうでないときの落差、食べ物がたべれなくなってることに苦労したことなどが記述されています。ここらへん手に取るように理解できるのでちょっとしんどかったのですが。医師からの余命宣告後も「これからこそかかなくてはならない」と宣言しつつ、叶わず文章になっていない昏睡状態直前の手書きのものも印刷されていて、最後まで表現者であろうとしたのだな、というのが理解できました。
○我が身を振り返ることもけっこう割かれていて(どうも)御母堂との関係が一筋縄ではいかなかったようでそれ踏まえて純文学を書く約束をしていたらしいのですがそれは叶わず、御母堂との関係が「割り切れない」ものや「不条理」が残っていつつ、それが「私を私であらしめた」一つの要因、と分析していて、個人的に不条理とどう向き合えばいいのだろうということを考えていたのでそこらへんの分析が、一つの解として、腑に落ちました。
○どうも経済的な理由もあったようなのですが抗がん剤投与中も執筆は続けていて、唸ってしまったのは「書いていて満ち足りた思いになる」と書いていて、ああ、(文学かどうかはわからないけどすくなくとも)物語は中島さんを救っていたのだな、という点です。(断筆宣言にからめ「文学を殺したのはだあれ?私だわ、と大江健三郎はいった」という評論を書いてて、文学者が音楽に救われたいま、文学はなぜあるのかということを考えていたの知っているので)個人的にその点だけ知れただけでもこちらが「救われた」とおもっちまったり。
○書いてることについていけないところもあったのですが、影響を受けた人の最期を知ることができ、小さな心残りが解消した気が。
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