[宮沢賢治について]
○☆貰っておきながらすんません、消してかきなおしました。
○お父さんが仏教に深く帰依していて、賢治自身も小さいころから真宗の「白骨の御文章」を暗記していた。われやさき人やさき、けふともしらずあすともしらず、っていうあれです。独特のリズムを持った口調はそこらへんも影響を受けてるのではないかなあ、と。実家は質屋を兼ねていて、したがって生活に困窮した人が訪問してくるような場所で、賢治の生きていたころの東北がどのような状況であったのかは知らぬものの、不作になれば質草をもって困った人が賢治の実家を訪れたことは想像に難くない。でもって、それが仏教的なものと結びついて自己犠牲の方面にいってしまうのかな、と。グスコーブドリの伝記とか。質屋という他人の経済的不幸を商売のタネにする家にいながら、知った仏教の世界とのはざまに陥ったことが、その後の作品群に影響与えたのではないかと。
○実家は浄土真宗であったのだけど、法華経に触れて、そのうち国柱会という法華経系の教団に傾倒します。家出して東京まで行くのだけど、農家は鍬をもって、商売人はそろばんをもって、文学者はペンをもって、世の中に弘むるのが正しい修行のあり方って諭されて花巻に戻ります。でもって農学校の教師になるのはご存知の通りです。岩手農林で地質を勉強していた経験から、農業相談をしていて炭酸石灰を酸性土壌の土壌改良資材として薦めます。薦めるだけでなく石灰供給元の砕石工場の依頼で技師となりつつ普及・販売促進のために岩手県内各地や宮城、秋田へ出張し、病に倒れます。「雨ニモマケズ」を地で行くというか。言行一致とか、そういうことばがなんとなくぴったりくるのです。
○「ほんたうの」という言葉がわりとでてきて、「ほんたう」というのを常に意識していたのだろうなあ、と(「ほんたう」でないものに満ちていたのか)。学者アラムハラドのみた着物とかだと人は「ほんたうのいいこと」を考えずにはいられないとかいてて、銀河鉄道の夜では「ほんたうのさいはいとは一体なんだらう」とジョバンニに問わせてカンパネルラに「わかんない」っていわせてたり。あと「ほんたうに、みんなの幸いのためならば、ぼくのからだなんかひゃっぺんやいてもかまわない」っていうような、ちらちらって見えてくる自己犠牲とともに愚直なまでの求道者の姿が見えてきます。
○わき道にそれると(いつもそれてばかりだけど)「ほんたうの」ってのは注文の多い料理店にも出てきて「これらのちいさなものがたりの幾きれかが」「ほんたうのたべものになることを」って書いてて、後年中学になった紅顔の美少年が(若干の誇張あり)読んで衝撃を受けておっさんになってもあれこれかんがえるようになるくらい影響を受けてます。食べ物になったのかもしれません。
○あきれられそうなこと言うと私は一時期宮沢賢治という人が怖くて(文章を読んでると変なところにこっちが連れてかれる感覚なのです)、怖いんだけどつい読んでしまうのです。ある種の狂気のようなものをもってるような気がしてならず、ほんとは狂気ではなくてそれが篤い信仰を持つゆえの純粋さの裏返しであるんだろうけど、怖い意識がぬけなかったのです。もう一つ告白すると母方の一族は国柱会で、母方の一族は信仰に篤いものの宮沢賢治のようなひとはいないけど、もし信仰に熱心になりすぎるとああなるのか、という怖さがあったんすが。
○前に宮沢賢治の作品について書いてらしてる人がいて自らが透き通るような、とかかいてらして、わたしの宮沢賢治のとらえかたはおかしいんだろうなあ、なんてことに気がついた。他人の感想を知ることで、おのれの個人的なことを浮き上がらせるよなあ、と。てかwebというものは、個人の差異をけっこう思い知らされる場所だよなあ、と。
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