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自分(id:gustav5)のことを語る

もう20年前になるのだけど、亡くなった中島梓さんが「文学を殺したのはだあれ?わたしだわ、と大江健三郎は云った」というのを書いた。大江さんは光さんが音楽で世界とつながるようになってからおのれにとっての文学の役割は終わった、ということを述べていったん筆をおいてしまって、大江さんにとっては文学は音楽より必要のないものであった・文学は一人の文学者を救わなかったし救ったのは音楽だった、ってなことを書いたわけなんだけど、そのときショックを一番受けていたのはおそらく中島さんであったと思う。一人の文学者を救わなかった文学の存在意義はなんなのか、的なことも書いていた。この設題、わたしはいまだわかんない。結果として大江さんは奥さんのお兄さんの死をきっかけに再び物語の世界へいって文学として昇華させることで、ふたたび「おのれに文学が必要であったこと」を提示したのだけど、文学がなんで必要かってのは、ほんとはけっこう深い問題であるとは思う。この問題、村上さんは物語という炎でしか照らし出せない場所があって、それを書くのは文学者である的なことを以前毎日新聞に書いててなるほどなあ、とは思った。
そういう個人的な経緯をふまえて、ちょっと前の「文学は人生に必要だ」的な広告を見てほんとかよと思いつつ、上記のようなことをずっとうっすら考えてて、なんというか、個人的には全然答えが出ないんだけど、なんかこう広告のほうは、をんさんの挙げてた振興会の謝罪の文面を見てアニメをたとえに出すあたりで、あんまり深くない広告だったのだろうな、とは思った。でもほんとに必要なんすかね。人生に必要っていうより、必要な人だけ必要な気が。