マギー司郎師匠の縦縞のハンカチをぐちゃぐちゃにして「ほうら横縞になったでしょ」を覚えてる世代です。その後きちんとしたマジックにつながるのも覚えています。事例を出され「人を傷つけない笑いはそんなに珍しいものではないのかも」と云われると、あーそうかもしれないと思える根っこのなさですいません。正直、笑われるということに関して恐怖が先にあって、あんまり冷静に考える余裕がないのです。
それを踏まえて絶望について若干の訂正を加えると、嘲笑というか笑いの矛先がいつこちら(≒少数者)に向くかわからない怖さからくる安心ができない絶望?といえばいいでしょうか。
80年代が10代で、とんねるずの問題になったキャラの影響をまともに受けた世代です。当時はいまみたいにフジテレビを筆頭にテレビ局に視聴者がなにかしらの意見が云える時代でもありませんでしたし、そもそも10代で、弁がたつわけでもなく黙るしか能がありませんでした。言葉を借りれば「80年代から00年代初期ぐらいの」「人を傷つける笑いが妙に力を持ってしまった時期」が終わり、多様性の可視化によって共同体の再構成がなされその変化して同時期の反省につながるのであるならば、そうあって欲しいな、というのは切実な希望としてあります。
なんだか返信になってなかったらすいません。でも、希望が持てないわけではなくなったので返信ありがとうございます。
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