東洋の辺境に国っぽいものができはじめた昔、国っぽいものの王っぽい人たちは、使いに土産を持たせて天子の所へ挨拶へ行かせました。これが朝貢です。天子の方では王っぽい人の地位を認めてやりました。これが冊封です。何せまだ国っぽいものができる始めで、卵の様にごろごろして不安定だったので、これを固めるのに天子の威光が便利だったのです。天子に認められた首長を持つことで国っぽいものは国際的にも通用する国になりました。
原日本でも天子の所へ挨拶をやって、倭国として認められることが国作りの初めでした。ところが倭国の場合に変わっているのが、南北朝時代が終わるとこの関係をやめようとしたことでした。倭国の首長はやがて「天子・皇帝・天皇」を称して新しい王朝を立てました。これが日本です。天子を称するということは、国として認められる立場から国を認める方へ移ろうということです。当時日本では唐の制度を参考にして新しい体制を造りますけれども、唐の行政で「州」にあたる所を「国」にしたのは、形の上でこれを示そうとしたのでしょう。
日本の発足は「国」からの脱却を目指したので、そのためにこそ天子たる天皇という存在にも意味があったのでした。それから千年以上の後、明治維新を経て初めて日本という名の国ができました。即ち今の体制です。この新しい日本の政府は、それまで象徴的権威として続いていた天皇を担いだので、昔の日本の朝廷が作った『日本書紀』の神武天皇が「帝位に即いた」という記事を建国神話として解釈しました。即ち今の建国記念の日の起こりです。
