- ----- memo -------(いなり)
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「いなり」の由来
「山城国風土記」の「紀伊郡の伊奈利社」の由来によれば、和銅四年(711)秦伊呂具(または伊呂巨)は、ある日お餅をこねて矢を射る的を作り、矢を射かけたところ、お餅は白い鳥に姿を変え、かなたの山の峰に飛び去った。白い鳥の舞い降りた峰には稲がたわわに実り、伊呂具はこの出来事を神様のなされたことと思い、そこに社を建てた。これがおいなりさんのはじめとされる。(この物語は祭神は相違するが全国に分布する白鳥伝説とも類似している。)
京の地では、西北の愛宕山付近でよく雷が発生し、東南にあたる稲荷山へ抜けることが多い。稲荷山は雷の「稲妻」を多く受けていることから、「稲も成る」と考えられてきたようだ。
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初午
平安時代から、京洛の人々が行楽気分で初午(2月に入って初めての牛の日をいい、通常は2月下旬から3月中旬の間であり、春めいた頃)に稲荷大社を詣でる風習があった。
きさらぎや けふ初午の しるしとて 稲荷の杉は もとつ葉もなし
新撰六帖 光俊朝臣
「初午に参詣した人々が、そのしるしとして、各々が杉の小枝をとっていくものだから、この日の稲荷山の杉はすっかり葉がなくなってしまった」とあるように、“初午”と“しるしの杉”が切りはなせない関係にあった。しかし「しるしの杉」は必ずしも「初午」とだけ結びついたものではない。その後、初午の風習は全国に広まり、稲荷社の祭礼として有名になった。
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