丁寧におこたえいただきましてありがとうございます!
それから、『視線の権力性の有無』という、わかりづらいことばを使ってしまって申し訳ありません。いろんな次元で説明しなければならない、大変つたわりにくい単語を安易に用いてしまったと反省してます。すみませんでした。
(例の、論文時代を思い出します~><)
WEB上のテクストだとこのあたり(なんか変な・があって読みづらいですが)。
「美術史研究とジェンダー論」 http://salsa.sakura.ne.jp/data/html/bunko/bunkensyoukai/20040805100527.html#
「このようなポストモダンの思想は、「女性」のみならず、さまざまなマイノリティへと向けられる構造化された「視線(眼差し・ゲイズ)」への注意を呼び覚ました。」
または。
若桑みどり『隠された視線』(岩波書店)
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/5/0083320.html
「明治日本が近代化を急いだとき,日本美術も急いで近代を目指した.そのとき浮世絵の遊女は,洋画の裸体美女へと変貌したが,女性はあいかわらず「見られるオブジェ」であった.ジェンダー概念によって近代絵画の女性裸体像を解釈し,これまでの「正統」日本美術史を書き換える.著者みずからがもつ社会的差異にねざした画期的論稿」
それから、長いのですが、内容がよくわかる、
若桑みどり『象徴としての女性像―ジェンダー史から見た家父長制社会における女性表象』筑摩書房についての書評
http://kaloskagathos.hp.infoseek.co.jp/docs/critic_wakakuwa.html#
「女性は「表象のなかでも常にものいわぬ客体」(p.6)とされ、歴史記述の主体となることなく、「人間の歴史」とはつまるところ「男の歴史」であり「男性の美術史」にすぎない、と著者は論難する」
などをとりいそぎ、あげさせていただきます。
わたしは自分をフェミニストなのだとは思うのですが、はてなでフェミ記事を読んでブクマしたりそこで紹介された本を手に取ったりする程度でたいそう頼りない説明になってしまいますが……。
「視線」には、「見る」主体と「見られる」客体の問題があらわれます。「客体」であるほうは、その「視線」により本人の意思によらず性的に消費され(ポルノ映像としての裸体表現など)、そしてまた美醜について判断をくだされます。長らくそれは男性から「女性やその表象」に対して一方的に行われてきました。「見る」という行為は人間誰しもするものでしょうけれど、そこに他者の性を搾取するもの、また価値基準をおしつけるものの「権力」があらわになる。
ここらへんのカウンターは、フェミニズムの「ミスコン批判」に顕著なのではないかと思います。または、サイードの『オリエンタリズム』などにおいても語られています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0
それと、「ただしイケメンに限る」という揶揄は、女性が男性の美的価値を口にするようになったことに対するカウンターであるのでしょうけれど、女性は有史以来ずっとその視線を構造的に受けてきたと真面目に反論すべきところなのかと考えてしまうこともあります。
(もちろん、美少年や美しい肉体の男性が愛された古代ギリシャや、「レース戦争」に見られる、お洒落をしなければならなかったフランス・バロック宮廷などの例もありますが、その価値基準を最終的に決めるのは、女性ではなく、やはり権力をもった男性であったという事実は忘れてはならないと思います)
と、
こんな感じですが、伝わりますでしょうか?
男性には何をどう見ても許される「権力」があるけれど、女性にはそれがなく、そもそもの価値を逆転しようとすると、必ず「見るな」と罵倒されてしまうというような意味で使ってしまったのですが、ひじょおおおにわかりづらかったですね。ほんとうに申し訳ないです。
そして、「規範の縛り」というのは大きいと思います。男の子は性的なものに関心をもっても許されるけれど、女の子がそれをするとイケナイというような。しかも、公言すると、変に言い寄られたり、レッテルを貼られるハラスメント被害もあるので厄介です。なので、性的なものを面白いと思っても、身の安全を考えると容易に口に出せないという状況もあったりします。
それから、電車の中でああいう新聞を見てる男性は、自分がそういう恐怖感をおぼえることがないから、平気で見られるのかな? 他者への思いやりは頭にないのでしょうと切り捨てて(笑)、自分が性的に消費される忌避感や恐怖感がないからああいうことができるのか、いつも不思議に思ってしまいます。
「すべての表現は対等である、ゾーニングは差別だ!」とかいうアナーキーな思想の持ち主ってわけでもないと思うんですよね~(笑)。
おお、そしてやはり、よしながさんでしたか!
わたしも好きな作家さんで、『きのう何食べた?』は未読ですが、『大奥』もそのふたつも、そのほかのBLなんかも読んでます。『大奥』は、超SFと勝手に名づけてますが(笑)、ん~、どこへ落とすつもりなのかがまだ見えず、すこしばかり考えています。くちはばったいことをいうと、いちど、グシャグシャになった作品を読ませてもらいたいと思ったり。
(あ、かなり心理的にハードな内容ですので、たしかに余裕のあるときのほうがよろしいかと存じます)
よしながさんでいちばん好きなのは『愛すべき娘たち』で、これを見た瞬間にわかるようにコニー・ウィリスに似た、ストーリーテリングが巧みなかたですよね。
わたしは、ああいう構造的な美しさが壊れてのちに描かれた作品はそうとう凄いものになるんじゃないか、なんて、生意気な感想を持っています。
