ブログでのコメントどうもありがとうございます!
彼我の用法は難しいですよね。
それで、え~と、コホン、まことにもって恐縮ながら、「目上の方に対して用いても失礼のない『そのように恐縮なさらずとも』の雅語」(勝手に要約してみました☆)は、おそらく存在しないものと思われます。
>目上の方の恐縮している様を露に口に出すのは典雅ではないのかもとも考えます
この場合、これこそがいちばんの回答ではないかと。
もしそれが表立って交わされてきたものであれば、誰かの書状等(茶人の日記や政治家文人の往復書簡その他)を紐解いていくと必ずどこかに散見されるのではないでしょうか?(そんなにいろいろ読んでないですが、わたしもそれに似たものすら見かけたおぼえがありません)
ものすごく乱暴に言い切ってしまいますと、長らく封建社会であった日本で明文化されない「貴人の様相」は、やはり、外に出すことを憚られる意味内容であったと思われます。
ましてや、ぶりさんの語彙がないなどということは有り得ないですよ~。
つまり、そのものズバリを指す「単語なり一文」は、ナイ。
と、判断しますがどうでしょう?
とはいえ、このシチュエーション、わたし自身も身に覚えがありすぎて(笑)。
先生からの頼まれ事をして、自分で思った以上にいっぱいお礼いわれてしまったら「そんな、先生、そんなことは……いえ、いえ」などとほとんど意味のないことばを連発し、語尾を故意に濁してやりすごしたり(笑)。あとは究極、「このくらいのことでそんなに仰られると、かえってこちらが恐縮いたします。いつも大変お世話になっておりますので、ほんの気持ちですから」とか口にして、また無限ループということもあり……(笑)。
はなしはすこし変わりますが、
わたしが教わった高校の国語の先生は、「花に(ペットに・子供に)水をあげる」に☓をつけるひとでした。この感覚が、今現在はたしてどこでも通用するのかはなはだ疑問であると考えてしまう時点で、ことばの移り変わりの速さに呆然とします。
「尊敬・謙譲・丁寧」のみっつをきっちりと使い分けている層はかなり薄くなっているのでしょうし、こうした背景には、儒教的価値観(と乱暴すぎるほど大雑把にくくってみますが)の希薄化にあるのではないでしょうか。
維新以降、日本語は壮大な思考実験場になっているというのが常々感じていることでして、せっかくその特等席にいるので(参加していると言いたいけど言いません)、不勉強はもったいないから頑張ろうって思ってるところです。
