id:florentine は
florentine(磯崎愛)のことを語る

~勝手に引用~
 
サイード『晩年のスタイル』より
 
「(……)そこで彼は、ひとりでいるときだけ、真実を語るのだと述べている。この考え方は一九八七年の『パレスチナ研究』誌とのインタヴューでさらに練り上げられる――「わたしは話すとすぐに、状況によって裏切られる。わたしは、わたしの話を聞いている人によって裏切られる。なぜなら、まさにわたしが話しているがゆえに。わたしは言語の選択によって裏切られる」。」
 「これに劣らず非妥協的なのは、『恋する虜』である。そこに物語めいたものはない。政治や愛や歴史について連続した、もしくはテーマとしてまとまった省察というものはない。事実、その本のなかでもっともめざましい功績といえるのは、雰囲気とか論理を、とりとめもなく続くようにみせて、しばしば唐突に変化させながら、読者をひっぱってゆくことだ。結局、ジュネを読むとは、彼の感性のまったく飼いならされていない特異性を受け入れるということである。彼の感性は、反乱と情熱と死と再生が結びつく領域につねに立ち返る――」
「端倪すべからざる逸脱を繰り返す構造をもつ『恋する虜』のなかでもっとも印象的な断片のほとんどが、言語についての省察である。ジュネはつねに、言語から、アイデンティティと言明のための力を抜き取り、言語を侵犯的で、攪乱的で、そしておそらくは意識して悪辣たらんとする裏切りへの様式へと変えようとしている」