~うだうだと~
映画『プレシャス』公式サイト
http://www.precious-movie.net/
見たいような、見たくないような。
予告編みただけで泣いちゃう感じなのですが。
(涙腺ユルイっす)
(あ、レニー・クラヴィッツ兄さんも出演されてますゼ! チョットそこで興味も 笑)
なんか、しみじみと考えてしまった。
「わたしは愛されてない」と口にして、「わたしはあなたを愛している」と返してくれる相手がいるひとばかりじゃないと、すぐに思ってしまうのよね、わたしってば。
まあ、そう返ってくるのが最高なのだろうし、幸せなんだろうなあとは想像するけど。
それが「幸せで最高」って感じてしまうじぶん自身ももうちょっと考えようよって思ったり。
それに。
「愛」という言葉は日本人がそうやって使うには難儀なコトバだと戸惑ってしまう、言葉フェチなので、イロイロ悩む。
(キリスト者の世界では、そこに疑義をさしこむ必然はないのだろうなって、西洋世界の小説とか読んでると思うのですね。そういう「愛」の例えがたくさん出てきているので、わたしとしては、ああ、そういう「世界観」なのかなとか考えられる。まあそれが、いま現在の「リアル(現実・現状)」と何処まで地続きなのかという複雑なコトもあるでしょうが。ちょっと今、その問題はわきにおく)
だいたい「愛」とか、わたしにはよくわかんないし。人間同士で使うときは。
つまるところ。
じぶんが「愛している」と誰かに告げるのはハードル高すぎて死にそうなので、
「誰かに愛されないことは罪ではない」と、「罪」っていうとちょっとキリスト者っぽいけど、ん~、それはそんなに苦しまなくてもいいことなんじゃないかと、いや、ものすごく苦しいのはよくわかるけど、それは「悪」ではないっていうか、仕方がないという諦めとは違うけど(似て非なるってやつ?)、「愛されない」という事実自体がそのひと自身を生きている価値(この言葉自体がそうとうに厄介なのですが、ええと、生きていてツライ悲しいサビシイ未来がないって思わないですむというくらいの意味でお願いします、かといってその気持ち自体は消しようがないのでしょうし、受け止めるべきものなのだろうとは思うのですが)のないものにしてしまうような考え方というか風潮(なのか?)とか、そっから、解体したいなあって思ったりする。
そう思って、小説かいてるなあと。
「価値」とか「意味」とかいうコトバ自体を疑ってかかることの重要性ってのもあるよな、と。あと、「愛」とか「信じる」とか「優しさ」とか「癒やし」とか「家族」とか「母性」とか「父性」とか「大人」とか「こども」とか、いろいろ。
共同体でつかわれる「言語」と各個人のズレをあらわにするのも物書きの仕事だし。
うだうだと、そんなことを考えながら、アイス食べてます。
(で、この「埋め込み様式(エンベディングだっけ?)」はさいきん、自分としてはこれ以上なくアタマのなかをよくあらわしてくれていてヒャッホー! な気分ですが、読むひとは、読みづらいよねとか、考えながら、でも、もうしばらく続けちゃおうっという、「意識の流れ」表現修行ちうナウ)
florentine(磯崎愛)のことを語る
