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florentine(磯崎愛)のことを語る

こんにちは。リプライでお元気になられたようでよかったです! 
大王様はこうでなければと、マジレス友の会会長としても、ワクワクしながら読ませていただきましたv
そして、『中世の覚醒』(以前もご紹介いただきましたね。あのときは原題が素敵といった気がします)のあまりにもキャッチーな文言の連なりに(これは絶対面白そうと思いましたよ!)、ネタを曝しちゃいました。ご笑覧あれ☆
http://h.hatena.ne.jp/florentine/9236556838700925339
 
それから、コレが個人的にとっても面白くて。
  
>F(亀):
>F(タペストリー?写本?)
 
わたしだったら名前を並べちゃうところをちゃんとアイコン説明ってのが、「おお、なんかイコノロジーちっく!」とか思いましたです。
ちなみに、これはわたしの秘密の箱(笑)でして。
なんかの箱を青く塗って、そのうえにアマルフィー紙(自慢! 東西交流の証!)をとめてエジプト土産のカレンダーの切り抜き(どこの寺院のタイルかは忘れちゃいました)を貼ったものです。それをデスクまわりに立てて飾ってあるのでした。用途とすると、タペスリーのほうが近いかなあ?
青が好きなんですよ。唐草紋様(アラベスク)も。
アロイス・リーグルというひとの古典的著作に『リーグル美術様式論―装飾史の基本問題』というのがありまして、これがアラベスク好きにはたまらんものです。洋の東西をつなぐ植物文様の運命みたいなものを思わせて、好いのです。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4753410110
 
で、こういうのをちっちゃいときに読んでると澁澤龍彦に出会ってユルギス・バルトルシャイティスの『幻想の中世』に到達してしまうという(笑)。ちなみにわたしの卒論参考文献のひとつです。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0013.html
 
と、中世大好きのおはなしを続けると、わたし、どこでどう止めたらいいかわかんないです。キケン!!
ある意味狭義のルネサンス時代より、時代区分が広いので、とりとめなく話せてしまいそうといいましょうか。いま美術方面でしたが、文学方面にいきますと聖人伝とか騎士道物語とか滑稽話、説教話、詩も豊かですし(ルネサンス期の文筆家はこの遺産と古代を足して食べてるわけで)、ことにフィレンツェ都市文化(宮廷?といってもいいかな)を語る場合、この「中世やフランス騎士道好き」はひとつ、特筆してあげておいてよいんじゃないかなって思ってます。
ですから、 
 
>中世から近代の初めに至る神学論争・哲学論争の中心地も、『イケナイ恋愛』の発祥もフランスだったのかあ、そりゃあフランスに有名な哲学者が沢山いるわけだし、florentineさんもフランス贔屓になるわけだわ
 
とおっしゃいますのは、まさにその通り、大笑いで首たてに振りまくりです。
その『イケナイ恋愛』(なんかインビで素敵ですわねv)の代表格が、『トリスタンとイゾルデ』になります。これは本がいっぱいあるので、ちょっと紹介に迷います。
 
と、ちっともカトリックのはなしにならないのは、やっぱりわたしもココは踏み込むと怖いからかなあと。「教会ちゅうのは本当に恐ろしい所だべ……」は、実感として、ありますね。歴史書を読んではもちろん、どんな辺鄙なところにも教会や修道院(これは辺鄙で当たり前なんですが 笑)があること、教区ごとにひとが管理されていることなど、またその壮麗さやそこで生み出された絢爛たる文物を見てしまうと、『エンディミオン』の世界と、実はさほど違わないと思ったりもします。ええと、使い古された文句ですが、たぶん、事実は小説よりってやつです。
「不条理ゆえに我信ず」とか「神は神のものを知りたまう」とか、わたし、小説(虚構)のなかでこういう言葉を書けるかっていうと、できないかも、です。
アルビジョワ・カタリ派十字軍関係に取材した日本の小説家では、佐藤賢一さんの『オクシタニア』、坂東眞砂子さん『旅涯ての地』、あと堀田善衛さんの『路上の人』を読んだことがあります。それぞれ異なる作風で力作かと思いますが、わたしのオススメは堀田さんです。あのネタ(中世神学上の大ネタ)を盛り込み、歴史小説としての遊びもしつつ、洒落のめしていて、しかもマントの翳で白刃を閃かす緊張がある。
そして、ドニミコ会修道士といえばエーコ先生の『薔薇の名前』です。ベルナール・ギー(実在!)、おっかないですよ~(笑)。
小説としての面白さでは『フーコーの振り子』に軍配をあげますが(異論は認めますが、自説をひっこめる気はナイという 笑)、やはりこの『薔薇の名前』は「中世」に興味のある方でしたら、「ぜひぜひご一読!」をと叫ばずにはいられません。もちろん、ヤワな書物ではありませんが、そこがまたそそるのですよ(笑)。
 
ボルジア家のその本は未読です。わたしの周りでは、塩野さんの出世作『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』でファン(?)になるひとが多いです(いえ、わたしも嫌いじゃないですが 笑)。あれですかね、美貌の一族というのと、毒と、近親相姦ばなしがウケるのかなあと、たいそう不謹慎なことを思ってしまいましたです(汗)。とはいえ中世物語研究関連よみますと、この「近親相姦ネタ」が民衆に受けたというのはよく言われる説ではあります。
なんか、はなしが噛み合ってない気もしますが、えっと、世俗ですよね、世俗!
塩野さんの『神の代理人』がそのへんをとてもわかりやすく語ってくださっていて、いま思うとルネサンス理解に大変役に立ったなあと。
塩野さんはローマにも住んでおいでだから、日々カトリックの歴史の重みの凄まじさというものを体感なさっているのではないでしょうか。歴史書から学ぶことではなくて、今もそれがそこにあり、また信者がそこへやってくるということで(そしてたしか、史料を読みにヴァチカン図書館詣でもなさっていて、あそこは世界中でもトップレベルの頭のイイひとたちの居場所だと書いてらしたと思います)。
それと、
 
>「教会」のように政治的組織化してしまう類の宗教にはなんとなく不信感みたいなものを感じてしまいます。個人の内面的問題の救済にあたったり、個々人が生きる上での規範を提供するといった範囲のことが本来は宗教の務めるべき役割であり、それ以上のことをするのは越権行為ではないか、と思ってしまうのですよね。「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」という言葉には全く同感です。
 
に、わたしも「同感」なのですが。
なのですが、と思いつつ、悩んでしまうところもあります。
わたし個人のなかでは「正教分離」は「至極当然!」的な気分(この軽さ!)で納得してしまえる一方で、「信心」「宗教」というものが「生活すべて、生まれてから死ぬまで、そして死後の魂の安寧を約束する」根幹であるひとびとの歴史、いまも続いていて生きている歴史、それを垣間見てしまうと、なんともいえない複雑な気持ちになります。
教会「組織」のしてきたことの恐ろしさ陰惨さをあげることもできるし、また、それがあったがゆえに救われたひともいたと言えてしまうところが、人間の歴史なのかなとか。
それでもって、こういう「あれもわかる、これもわかる」と口にしてしまうのは「最悪」だと、しゅのーせんせいもおっしゃってるのですが、でも、それでなお、わたしは自分の立場をそうそう明確にできないフニャフニャしたところがあります。弱いというか、信念がないというか、なんというのかわかりませんが。
(小説かいてるせいもあるのでしょうね。登場人物ひとりってわけじゃないから、自分と反対意見でもどうしてそういうふうになったか理解しておかないといけないって思ってしまうのですよ)
ちなみに、せんせーは続けて、
「やっぱり人間、どこかで決断しなきゃならんのだろうな。その決断が間違っててもいいと覚悟したうえで」
とお書きになられているので、カッコイイことこのうえないのです!!
なんとなく、しゅのーせんせーの「感覚」みたいなものが信頼できて、こういうひと(作家)になりたいと思う、わたしの憧れと尊敬のひとなのです(笑)。
(それでもって、こういうキリスト教や中世神学のはなしなどしていると、いつか、せんせーの『キマイラの新しい城』を読んでいただきたいな、と思います。あ、でも、これから最初に読んじゃダメなんですよ!! だから容易にオススメできないのです>< せんせーの作品に手をだされるときは、順番にお願いしますデス)
 
>もっとも、できるならば「宗教」よりは「哲学」に近い場所で生きたい、とは思っていますが。
 
これ、わたしは「芸術」ということで(笑)。
なんか、オイシイとこを取った気もします。エヘヘ。
(いや、厳しいトコかな? うーむ。考えれば考えるほど厳しいトコかもしれんですな。でも、ココで)
 
そんなこんなで、わたしのほうがきっと長文レスだと思われます(笑)。
ハイク、編集機能とかナイから気楽でいいとは思うのですが、推敲勝負に負けてるときはあったほうがいいとワガママなこと願います。
宗教と政治のおはなしをもっとつっこんでできるといいのですが、勉強不足ですみません。地道にやります。
それでは三連休最終日、ゆっくりと夜をおすごしくださいませ。
ペコポコ~☆