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勝手に引用のことを語る

「次に、アベラールが、人間の行為の善悪が行為それ自体で決まるのではなく、その行為をなすについて、行為者を動かした意図いかんによる、というintentioの第一義性に着目した点である。『第八書簡』の中で、彼は、オウィディウスの「我らは常に禁ぜられたものを志し、否まれたものを欲求する」との詩句を引用したあと、「だから如何なる食物も魂を汚さない。汚すのは禁ぜられた食物への欲望なのである。身体が物質的汚物によってのみ汚されるように、魂は霊的事柄によってのみ汚される。身体についてどんなことが起ころうとも、魂がそれに同意していない限り、何の恐れることもない。また肉体的に清浄であろうとも、精神が悪しき意志によって汚されているのであれば、何の自慢にもならない。魂の生死は係ってただ心のうちにある」と説く。
 この論理は、当然に、犯した罪の償いにおける意志の重要性へと結びつく。『倫理学、もしくは汝自らを知れ』の中で、罪そのものよりは罪人を、すなわち罪人の意志の働きを重視し、悔悛とは具体的な苦痛と罰ではなく、心の痛悔が問題であるゆえんを彼は強調する。このような考え方が、罪と罰と悔悟という中世になじみのテーマに、新しい光をあてたことは重要であり、こののち例えば、ベルールの描いた、トリスタンと隠者オグランとのやりとりにも、アベラール的思考が反映することとなる」
 
新倉俊一『ヨーロッパ中世人の世界』(ちくま学芸文庫)より