いたみいります。
無精者ですみません。
大辞林(の〔仏〕でみると、ズバリ、「悟りを開くこと」って書かれてますね。
なんか、おいそれと使えないカンジですね~。
で、いまググりましたら、こんなのが。
生活の中の仏教用語 -
http://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq00000085x5.html
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(以下一部のみコピペ)
一般に「覚悟」と言えば、重大な〈決意〉や〈決心〉を意味する。「決死の覚悟」といえば勇ましいが、逆に「お覚悟めされ」といえば諦めの心持ちを示す。しかしながら仏教でいう「覚悟」は、真理を〈さとる〉、真理に〈目覚める〉ことを意味する。覚も悟も同じく〈さとる〉ことだが、覚は不覚に、悟は迷に対して用いる。『涅槃経』には「仏とは、覚と名づく。既に自ら覚悟し、また能く他を覚す」と説いている。覚悟を得た人を「仏」と尊称し、教主と仰ぎ、その教えに随うのが仏教徒である。
親鸞が「地獄は一定すみかぞかし」と覚悟したように、今の日本人は上滑りな繁栄に見切りをつける覚悟が必要という人がいる。夏目漱石は「模倣と独立」という有名な講演で親鸞の肉食妻帯に言及し、「親鸞は非常なインデペンデントの人といわなければならぬ。あれだけのことをするには初めからチャンとした、シッカリした根柢がある」と述べ、親鸞を「一方じゃ人間全体の代表者かも知らんが、一方では著しき自己の代表者である」と語っている。
そこで思うことは、我々が覚悟すべきは「独り来り独り去りて、一(ひとり)として随う者なけん」(『無量寿経』)ということである。人間は本来一人ひとりが独立者でありながら、この世では絶対に独りでは生きられない。生かされて生きているのが人間である。覚悟、覚悟と力むよりも〈いのち〉の真相に気づくことが大事である。
古歌に「おのが目の 力で見ると 思うなよ 月の光で 月を見るなり」とある通りであろう。
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以上。
なんとなく、
「人間は本来一人ひとりが独立者でありながら、この世では絶対に独りでは生きられない。生かされて生きているのが人間である。覚悟、覚悟と力むよりも〈いのち〉の真相に気づくことが大事である。」
あたりに、
鼻の奥を刺されたような痛みがありました。
泣きはしませんが(笑)。
「おのが目の 力で見ると 思うなよ 月の光で 月を見るなり」
どこかで聞いたことがありましたが、
なんか、
いま、聞けてよかったかも。
どうもありがとうございます。
