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florentine(磯崎愛)のことを語る

ひとがやってることはやりたくないの。
後追いしたら、どんなに巧みに真似して超えようとしても、絶対に「二番目」にしかなれない。
そんなのは嫌。
じぶんでも、変なとこだけプライド高くてイヤんなる。
でも、やりたくないし、出来ないんだもん。
 
真似をしないっていうんじゃないんだけど。
なんていうんだろう?
 
同じ分野で同じことしちゃダメっていうか、普通なことやありきたりなことはしないとか、そういうことかな。すでに自分ができることや、簡単なことはしないとか。
 
わたしには「既得権」というものが何もない。
だから、すでにそこにいる作家たちのなかに入りたいと思うなら、誰もしてないことを新しく始めないといけない。
ただ、この21世紀、ありとあらゆる小説の技法というものは出尽くしたとかいわれ(わたしはそうは思ってないですが)、または鍛え上げられてきて、それじゃあ、そこで新しいコトがやれるほど、あなた、凄いひとなんですか。というと、そんなことは当然なくて。
でも、恐ろしいことに、わたしがわたしであり、あなたがあなたであるというただそれだけで、本当に怖いことに、過去に「わたし」や「あなた」がいなかったという単純至極な理由のために、「新しい」のであったりする。
これが、「文学」の底知れないところ。
 
ひとがたった一度しか生まれてこないというこの一回性、なにものにもかえがたいこの一回性と、
多くの作家たちにより繰り返し行われ鍛えられその度ごとに進む言語芸術の進捗具合とが、
矛盾なく、
互いに手を携えて、
仲良く愛し合っているのが、
「文学の営み」というものだと思う。
 
それに。
「小説ってこんなもの」って思ってるひとを驚かせたいっていう気持ちはたしかにある。見くびらないで欲しいとも願う。
小説の黄金時代が19世紀だったと言われれば、そうかもしれないと頷くし、ジョイスやプルーストの仕事のあとに何が出来るんですかって問われたら口篭りそうにならなくはないけれど。
でも。
やれること、まだまだアルぜ! とも言える。
じっさい、ヤッテルひとたちがいるわけだから。
 
まあそんなわけで。
こんなこと言いながら19世紀リアリスムと20世紀中庸ニューウエーブSFを意識した(ほんとか? ほんとですか??)、21世紀の東京舞台の恋愛小説(三角関係!)を書いたりしてるのですが、こんな「エラソーなこと言うわりにダメダメだね」とか言われると悦びますから、気が向いたら読みに来てやってくださいまし☆
(と、宣伝してみた!!)