~勝手に引用(ID頁でコッソリと)~
鵜飼 哲 『応答する力 来るべき言葉たちへ』から
(こ、こんなに引用していいかしら……ドキドキ)
「応答可能性という原義から責任を再考することは、旧来の責任概念に変わる「新しい概念」を「回答」として提出することではない。そんな「概念」が利用可能な道具のように手に入ったら、またどんな「学校教師」が「ナイーヴに」振り回すことになるかわかったものではない。陥穽にみちた「自己責任」の押しつけからかつてなく切迫した「戦争責任」の問い直しまで、今日責任という言葉が発せられるたびに、それが限定された概念であるかぎりで必然的に闇に葬りさることになる問いの数々をデリダの思考は照らし出す。そのとき私たちは、責任という言葉を、失語するのでも単に反復するのでもなく、ある未知の感性と情動を、発見しつつ発語するよう招かれる。ある犯罪の被害者でもあれば加害者でもありうる他者(「すべての他者はまったき他者である」)の前で。ここでもまた、「誤解」は半ば必然である。本書の著者とともに、この「誤解」にこそ応答しなくてはならない。」
--《「誤解」への応答としての脱構築 高橋哲哉『デリダ』》より引用
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