~谷崎熱はつづく~
ブログに書いてた長文は、ひとことでいえば、
「『少将滋幹の母』は、王朝風の日本的情緒に裏打ちされた母恋の物語として読まれてるけど、わたしが思うに、あれは、【聖母マリア探求】もしくは【イエスとマリアの恋物語】のおはなしだよ」ってことなんだけど。
ラストシーン、袂と円光はミゼルコルディアの聖母を彷彿とするし、老いた父の表象は完璧にヨセフのそれでしょう。べつの言葉でいえば、「円、死と再生、母の胎内回帰」で、まあ、これは誰もがそう読むでしょうけど、「母を恋うる記」では、水のイメージと重なるだけで、胎内巡りのそれは乏しい。彼が若かったせいもある。きっと。
そんなわけで、偽書の利用その他あって、古典を再構築するだけだなんて単純なことを、あのタニザキがするわけない。若いころにやった「母を恋うる記」と似たようなことを再度ヤルほどボンクラなひとではありえないので、これは、王朝物の皮をかぶせて読者を韜晦する、西洋回帰的マリア信仰の物語として読むほうが、騙されないでよいと思う。
(にしても、この徹底的なまでに「他者」の役割をふられた母君には、自分の女性性を忘れさせる威力がある。担いで盗んできたくなるわ)
ちなみに「平中物語」、芥川もやっていて、これは、う~ん。
年齢の分、やはり、谷崎に軍配をあげるしかないなああ。
さすがは芥川、軽妙洒脱な書きっぷりだけど、色気がナイ。カルイ。そして、色気がないところが平中物語らしくてそれはそれで個人的には好みなのだが、谷崎のマゾヒスティックな心理描写には痺れます。なかなか書けないと思う。
と、ようやっと消えた文章への怒りがおさまってきた(笑)。もっとずっと丁寧にかいてたんですよ。ええ。
ま、そういうこともある、と。
