id:florentine は
florentine(磯崎愛)のことを語る

 リプライ、とっても嬉しいです。わたしの気持ちをくんでくださったと感じます。どうもありがとうございます。
 あまりにもつたない、舌ったらずな文章ですが(自サイトには色々差し障りがあってアップできないです~><)、なんだかきゅうに外に出してやりたくなりました。
 それでこうしてfukuzowさんの大切な思い出をおはなしいただき、あたたかな言葉を頂戴できたのですから、なんとラッキーなことだろうと思います。
 
 おはなしをうかがって、SF翻訳家の方たちの自伝などを思い出しました。
 また、「いつも通りに」という言葉が、なんとも切なく、その方のご生涯を思わせて胸に迫りました。わたしの大好きな小説家辻邦生さんが「ピアニストがピアノを弾くように」(文章を書く)と書かれましたが、そんなふうに「文章」「翻訳」に相対しておられたのだろうなと。口にしてしまえばなんでもないことですが、これ以上なく大事な姿勢という意味で。
 その方との思い出は、いつか、時満ちて、なんらかの形で読ませていただければ幸いと思います。「時満ちる」ということが、人生には「ある」、と思うようになりました。
 
 そして。
 「戦中派のひとたちの影」は、強く、とても強く感じます。
 辻さんの『嵯峨野明月記』(これは嵯峨本を作った光悦・宗達・角倉素庵は戦国時代)、『西行花伝』(西行は源平合戦や政争)、『春の戴冠』(ボッティチェリもまたフランス軍侵攻その他)にしても、また先日話題にした堀田善衛さんの『定家明月記』にしても、戦争のある時代に生きた歴史上の人物を、やはりその時代にいる作家が書くという基調低音がそこにあります。ラファティおじさんも勿論、ジーン・ウルフにしても(わたしは彼の『新しい太陽の書』は、朝鮮戦争の体験が濃密だと思っています)、今よんでいるソンタグもそうですし、影響は大きいです。
 そしてまた、なにより自分自身が、「わたしは戦争のある時代に生きている」と思い、そのことについてこれからも書いていくことと考えています。
 もちろん、それが「ある時代にいる」ということと、「戦場に行く」はまるで次元の違うことですし、そもそも「戦争」とは何かということとか、考えはじめると頭が壊れそうになりますが、でも、考えて、書きつづけることを放棄しようとは思っていないという意味で、ここに記させてもらいます。
 それと、もう、せっかくですので(笑)、というか、なんのシンクロニシティーか昨夜、べつの場所でジョン・バース関連の名前も出たので、マジレス友の会・会長らしく存分に語らせていただきますと、

 「バグダットのアメリカ人」を読んで
 http://l-chocolat.g.hatena.ne.jp/florentine/20080911/1221135868

 この最後のところで謎めかしておりますが、アメリカポストモダン文学を代表するジョン・バース、そして唯一無比の小説家ラファティ双方が、ともに『千夜一夜物語』を主題にして小説を書いていた時期というのは、90年の湾岸戦争のころでした。
 そのころのわたしは、イラクがクェートに侵攻したのをフランスで知り、それでも、パリのアラブ世界研究所にいってきたという、ちょっとした思い出があります。
 
 アラブ世界研究所
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%96%E4%B8%96%E7%95%8C%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80
 公式サイト
 http://www.imarabe.org/index.html
(英語頁、メンテ中。フランス語です)

 このとき、わたし以外に、ひとりしか、お客さんいなかったです……。警備、すごくものものしかったし(ルーヴルの非じゃなかった)。でも、おかげで贅沢に堪能できましたが(笑)。
 
 いま読んでいるソンタグの本の中に、「インドさながらの世界――文学の翻訳について」という章があります。
 ここまで長くお付き合いいただいた御礼に、また、その方への追悼の意をこめて、その最後の一文をひきます。
 
 「本を読むことは、そして規範をもつことは、過去と、また他者やよその場所と関係をもつことである。私自身の見解でしかありえないが、文学を読み、それに関してみずからの規範を定めることは、翻訳された文学と関係をもつことである」
 
 わたしは、「文学」とは、そのひと自身が生きていくのに必要なもの、大事なもの、というふうに思います(ジャンルも虚構じゃないかも、あまり、分けては考えてません。ノンフィクションや伝記や論文なども、感銘をうけると文学って思ってしまう 笑)。
 わたしは語学が不得手ですし、それでなお、よその国のこと、違う文化のことを知りたいと思えば「翻訳」に頼る以外ほかありません。ちいさなころからそうですし、今後も、そうだと思います。
 そうした大事なお仕事をされる方への尊敬の意をこめて……