ぶりさん、どうもありがとうございます~~~~!!!(涙)
なんか、いっぱいお話したいことがあるのですが、頭がまわらない(泣)。
敵が大きすぎて、とまどってるんでしょうね。
「語り」の問題。人称、構想・建築的美観の問題。
「一次資料・二次資料」の扱い、ファンタジーとリアルのせめぎあいとか。
それから、自分の残り時間のこともあるし。
たぶん、わたしはそんなにたくさん書けるひとではないということがわかってきて、いえ、もちろん長い小説をかくひとではあるんですが、いわゆる量産型で書き飛ばせるタイプではないので、あと何作かけて、どれだけ注げるだろうと思うと、かるくパニクってるのだと思います。
まあ、現実的には一作でも残せればいいっていうレベルのものなんでしょうけど。
って、わたし、ほんと、自分を何様だと思ってるってはなしだけど、そんくらいのこと考えて取り組まないと、もとから持ってるものが少ないんだから、何も、出来ない。
なのに、思ったように階段がのぼれなくて、歯痒いです。
焦ってもしょうがないんですが。
目の前のことを、丁寧に、やってくしかないとはわかってるんですけどね。
>語り部になっちゃうとか
この方式、なのかなあ?
まだ、わからない。いまのはなしを書き終えれば見えるのでしょうけどね。
年表があるのに(リアル歴史ものだから 笑)、だからこそ、どうやって語りおろせばいいかわからないってことなのだと思います。
まあでも、三人称は使わない方向でいくような気がします。これだけわかってるだけでも、けっこう、凄いこと(笑)。たぶん、といいながら、さいきん自分の言動がよくはかれないです。あわわ。
>歴史を背負った家には、大概、語り部役のばあさんなるものがいて、
そうですね。昔は、そういう「おばあさん」がいたのでしょうね。ラファティの「九百人のお祖母さん」のように!
リアル祖母(または、年長者たち)のはなしは、きちんと残しておいたほうがいいものだとは、思っています。父方母方ともに御大層な家ではありませんが、わりと「小説ネタ」になりそうなので(笑)。
残念ながら『ドラバダ門』ほどドラマティックなエピソードには欠けますが、それなりに面白いネタはあるのですよ。
たぶん、どこのお家もそうなんだろうと思いますけど(笑)。
こういう日は、資料集めと資料読みに徹したほうがよいですね。って、あれ、もう日付が変わってるわ(笑)。
いつも、どうもありがとうございます。
florentine(磯崎愛)のことを語る
