id:florentine は
florentine(磯崎愛)のことを語る

~女性表象について、なのか?~
 
ぼんやりと。宣誓。
 
20世紀文学の大きなテーマのひとつは《コキュ文学》、または「浮気された・されるかも・されつつある・されてるの? と懊悩するオトコの物語」であったと考える。私見というだけではなく、鹿島茂先生もなにかにそんなことを書いていたので間違いないであろう(出典わすれたです)。
妻や恋人たる女たちは黙して語らず、または謎めいて微笑むのみ。否、告白したり、しなかったり。でもまあ、彼女たちの言葉はあくまでも「客体」の言語。真偽のほどは不明。それゆえに、美しい。とも言える。 
19世紀文学において、浮気した女は死ぬしかなかったわけだが(かの麗しきファム・ファタールたちの運命を見よ!)、
21世紀文学ともなれば、のうのうと生き延びて自らの体験を語る方式になるものと、
わたしは、
思っている。
 
(ていうか、わたし、いま『ボヴァリー夫人』よむと窓から飛び降りたくなりそうな気がして恐ろしい。影響を受けてるのはいいのです。自覚があるから。そうじゃないところで、思わぬ「痕跡」を見つけたときのはずかしさったら、喉が引き攣れて震えるね。去年一昨年読み返した三島と谷崎と澁澤で体験ずみだけど、慣れない。鴎外センセーあたりだと、こんなに恥ずかしくないのは、あれか? 十代特有のスポンジ的な記憶力だから、か。ほんとうに無意識だから、許せる。そこにあるのは純粋なる好奇心&向上心だから。でも、微妙な悪意だか得意だか、よくわからない慢心と気取りがあるのがイヤなのだなあ。オレ様の十代、頭悪くていやらしいなんて、黒歴史すぎる。万歳! 笑)