鵜飼哲『応答する力 来るべき言葉たちへ』(青土社)
http://www.seidosha.co.jp/index.php?%B1%FE%C5%FA%A4%B9%A4%EB%CE%CF
読みちう。
ゆっくりさいしょの一行からと思いながら、ジュネのところを開いて心臓にクる。
「いまや知られているように、五二年以降のジュネの考察の中心の一つは、眼差しの問いに他なりません。つまり眼差し、眼差され、自らを眼差し/眼差しあう(se regarderという表現の二重の意味、つまり再帰性と相互性)経験についての考察です」
ああ、そっか。って。
此処ですかって思いました。
まあ、すんごい遠回りしてようやく此処へ来たのだから、このまま行くよ。
と、自分に呆れてみせる。
これだけではちょっとわかりづらいですね。
前へ戻り。
「恥(サルトルによれば、恥とは物になる経験、〈他者〉の眼差しの前で自分になるという経験です)」
と、この前後に続く文章はわたしのなかでまだおぼろなので(いや、たぶん、なんとなくはわかってるのだけど、飲みこむには大きすぎる塊なのだな)、割愛。
ところで。
序章の「愚かさの寓話」に、すっごく面白いことが書いてあった。
「興味深いのはここでドゥルーズが、とりわけ明確に哲学と文学の、そしてさらに、「最悪の文学」と「最良の文学」の区別を立てていることである。「最悪の文学」とは愚かさをもっぱら他者に投影し、愚言集を編み上げて自足する文学である。「最良の文学」とは愚かさの問いに取り憑かれ、それに「宇宙的、百科全書的、認識形而上学的次元を付与し」「哲学の戸口まで導くことのできた」文学である。哲学はこの問いを、真偽の二項対立の権威にそれを従属させることなく、言い換えれば、愚かさを誤謬と混同することなく、受け取ることができなくてはならない」
これ、すっごくよくわかる!!
だって、『神曲』とかまさに、ここで言われる「最良の文学」そのものだし!
あと、これって絶対に「SF」のこと、だよね?
SF、SF、えす・え・ふ~☆
わたしには、レイフェル・ラファティおじさんの声が聴こえる。
florentine(磯崎愛)のことを語る
