id:florentine は
florentine(磯崎愛)のことを語る

きょうしゅくしゅくと、りぷらいざんまい☆
 
さて、「変」と「普通の日本人の住んでいる『世間』」のはなしです。
コレに関しましては、たぶん、阿部謹也さんの一連の「世間論」(すみません、たくさんありすぎて、どれをどう読んだのか忘れてしまいました 汗)などが、わたしには参考になりました。日本の生き辛さはいまは脇におきまして(笑)、ラテン語という共通言語によって国籍を越えて共同体を維持する「祈るひと(学問するひと)」たちのことなど、たいそう面白いです。
そういえば、わたしは阿部さんと新倉俊一さん、遡れば渡辺一夫さんなどから、かなり影響を受けていると思います。
 
ご存知のことかもしれませんが、中世当時の書簡は、このハイクような「公開文書」でありました。誰もが、つまり、ラテン語が読めるひとびとの間でそれは筆写され、回覧されていたわけです。
いま別の方からこうした問題意識について問い合わせいただいたので、申し訳ないけど書かせてもらいますが、ある場所に入るためには、こうした切符が必要になります。これは、一面においては非常に公平(身分に関係なく手に入れられるもの)でありますが、たしかに閉ざされた門(差別)であることも事実です。
げんに、レオナルド・ダ・ヴィンチはおそらくラテン語を読めないがために、当時の知的サークルに入れませんでした。むろん、そのせいで素晴らしい手稿を残したともいえそうですが(笑)。
(ここに学ぶことの自由がどこまで保障されていたかという問題もありますが、教会はいつの時代も開かれた場所であると信じて)
 
わたしは色んなことの結論を急ぐつもりはありませんし、こう書いたからといって「知」が偏狭であるとも思いません。ただ、歴史的事実として記しておくべきかと、少しはなしを横にずらさせていただきました。
ということで、元にもどしまして。
 
 
>「君は、『馬は鹿とは違う生物である』ということを数日前に発見して興奮しているのかもしれないが、私は四半世紀以上も前からそのことに気づいていたのだよ」
 
これは、カッコイイですね! 使えるときがあれば使わせてもらいたいくらい(笑)。
そして、「難儀」!!!
先日、「めんどくさい」と言われたばかりですが、次は、「難儀」ですか? いや、もう、床にゴロゴロ転がりそうですヨ。無茶苦茶、言い当てられちゃった気がする~><
ところで、fukuzowさんが、大人のなかに混じって議論していたというおはなしは、すご~く納得です。落ち着いた感じは、そうした経験に裏打ちされているのでしょうか? わたしもそういうところありましたが(笑)、もっと、そういう感じがする!
そう考えると、わたしはfukuzowさんと違って覚悟とかなくて、周囲に「普通」に幸せになってほしいと望まれていて、自分も、そう振る舞ってきたつもりです。
それから、ここには女性ジェンダーの罠(!)もあるかなって思うんですよね。ひとりで生きていけるようにと教育をされ、その覚悟を迫られたかというと、わたしの場合ちがくて、学生である間は優秀じゃないといけないと言われ、社会人になってからは仕事もできてくれなきゃ困る、それだけじゃなくてちゃんと「結婚」してほしいという強固な周囲の期待があった(というか、こんな年なのにまだ言われる!)のは間違いありません。
なんていうか、まっとうに考えて、「そんなにイロイロ出来ないよ!」なのです。
が、それはわたしだけじゃなくて自分の周囲の友人たちも、ずっと言われ続けてきたことのように思います。
   
余談ですが、わたしがフルタイムで勤めてた会社には伝説があって(笑)。
「上得意様の来客中にふすまを立って開けたために解雇された社員」っていう、まったくの虚構なのに、新入社員に必ず相伝される「伝説」!
まあ、そういうところに長くいると、「女こじらせる」のだと思います。
 
それから、「敵」って、すっご~く、おかしかったんですが(笑)。
わたしはこう見えてもとっても平和的なひとで、ひとと「喧嘩」するの苦手です。
マジレスすると、怒るとか負の感情を表に出すやり方がわからなくて、おもいっきしストレスためこむひとだと思います。なので、怒ると友人に褒められます。
ついでに。勝手ながら、fukuzowさんとわたしは塩野ファンなので、いわゆる「喧嘩」にならない(というか、なれない)と思います(笑)。外交の何たるか、な~んてものが常に頭にあるひとたちが、単純な二項対立に物事を落としこめるとは到底考えられません。
そして、そんなしゃちほこばったことよりも(笑)。
こうして本を紹介してもらったり、いつも親切にしていただいているのですから、その恩義は忘れません。
 
そんなこんなで、今後ともどうぞよろしくお願いいたします!