id:naok1991さんへ
こんばんは。お返事になるかどうかわかりませんが、とりあえず、自分の考えていることを書きますね。
その前に(笑)、わたしはWEBと同人誌で「小説」を書いています。わたしにとって「小説を書く」という行為は、たんに趣味とか暇潰しとかではなくて、自分が生きていくのにほんとうに本当に必要なことで、おおげさですが、それがなければ生きてはいられなかったかもしれないと考えていると、ご理解いただければ幸いです。
わたしは「言葉」や「美」や「芸術」や「語り」などを物凄くものすごく大事に、大切にしています。それと同時に「差別」というものに関しても、わたしの小説を読んでくださるひとがいれば、わたしがそれを真剣に考えていると頷いてくれるものと思います。
そして、わたしが何かについて書くということは、それがわからないからであるし、また、それついて理解したいから書くのだということも、お伝えいたします。
そのうえでお願いしたいのは、naok1991さんが考えていらっしゃるようなことは、わたしにとっても大事なことで、しかもそれらは一生かかって考えるようなことだから、性急にこたえを出すよう迫らないでほしいということです(べつに、すぐさま教えてくれっておっしゃったわけじゃないのは知ってますが。いちお。さいしょのときにお伝えしたように、ゆっくりお付き合い願いたいというおはなしです)
誓って申し上げますが、質問がイヤだという意味ではありません。質問自体は、有り難いです。でも、こたえろと言われると、とても困ります。ほかのみなさんのように明快な応答を期待されたら、泣きます。
逃げはしませんが。
わたしが思うに、「書く」という行為は、或る「出来事」や「思想」などを伝えるための道具であるだけではなく、その営み自体に、自分の考えを整理したり記憶したりといった作用もあります。
それから、「小説」は、「差別」について論じたり問題提起したりすることも可能です。さらには、「言語で何ができるか?」や「人間にとって言葉とは何か?」、そういう疑問を形にしていく、人間存在の突端や未来へとひた走る希望であるとも思っています。
今回、漢字が誰かを排除するとわかっていて何故それを使うのかというのが、ナオキさんの投げかけてきた疑問なのだと思います(ちがいましたら、すみません)。
わたしが「漢字」を使用するのは、わたしにとって、そうとしか書きようがないから、です。他のコトバを選べないから、です。それはべつに漢字に限ったことではありません。誰にも通じなかろうと、その言葉を入れ込みたいときは入れます。わからなくてもいいものは、わからなくてもいい文章として、差し込みます。通じることだけが全てではありません。
(ここらへん、naok1991さんはこの加減をとてもよく理解して吟味されたうえで文章を書いてらっしゃることと思います)
もちろん、わたしの言いたいことは伝わってほしい。けど、でも、それがそこに描かれているものを「理解」してほしいとは必ずしも一緒ではないのです。たんに内容理解を超えたところ、無意識と呼ばれるような場所、もしくはそのひとの根源に到達するコトバを語りたいのです。
だから、とにかく、わたしの口を塞がないでほしい。はじめだけは、どうかわたしの、わたしだけの言葉を、語りを、表現を、殺さないでほしい。それが、いちばん大きな理由です。
もちろん、字面の美しさというのは世に存在するでしょうし、それを「文体」と名づければ、それがわたしにあれば幸いです。そういう「美意識」はあるのかもしれない。
ただ、ほんとうにそれ以上に、わたしは、わたしの思ったこと、考えたこと、それを表現するにもっとも相応しい言葉を、とりあえずは、形にしておきたいのです。わたしが使えるものは全て、使い尽くしたい。もっとも奥深いところにある声を、そこに響かせたいのです。
そうした文章で、誰かのことを除け者にしていると非難されたとすればそれは悲しいことではありますが甘んじてお受けします。誰からも受け入れられるものなどないでしょうし、そのいっぽう、わたしは、自分が誰に向かって語っているか、たぶん、それすらもよくわかっていないのです。
いつかきっと、どこかの、誰かに届く。
そのことだけを信じて、今は、ただただ書いているのです。
それで、そうして吐き出してしまった後の文章は、わたしのコントロールできるものではありません(げんに、スパムブログに盗用されたりしましたし 苦笑)。
テクスト(文章)は、自分で生き残っていこうと足掻くでしょう。誰かに届けと、走っていくことでしょう。あとは、もう、わかりません(笑)。
たとえば、もしもわたしの小説がフランス語に翻訳されるとしたら(おお、我ながら大きく出たね!)、「漢字」は当然そこからなくなります。または音読した場合、おそらくは改行さえ、よい語り手でなければ消えるでしょう(作者であるわたし自身、上手に読める自信がまったくないです。笑)。
それでなお、何がソコに残るのか、そういうことを考えるためにも、わたしはわたしの言葉をまずは生き延びさせたいのです。
(もっと自分に言語を操る力がついたら、いろんなことにチャレンジしたいです! すごく真剣に!!)
さて、これではたぶん、お尋ねのこたえになっていないことでしょう。
naok1991さんの問題意識は、「知」と「美」の持つ「特権性や力」にあるのだと思います。または、それに付随した優生学とか。ひとがひとを判断し裁き、ときにその場から排除し、もしかすると殺したりすることも視野に入っておいでです。
さらには、「差別」には、構造的なものと個人のものがあるでしょう。どちらが先か、わたしにはそれさえよくわかりません。時間、つまり歴史的背景とか、いろいろな諸相があることはわかります。
はなしを戻しまして、命に関わるようなことや生きていくのに必要なことを知るための言葉は、みなに「ひらいて」いく必要があるとは感じます。しかしながら、それが現代社会のどの位置でどの場所でどういうふうにすればいいのか、また未来へ向けてどうしたらいいのかを、わたしは容易におこたえすることはできません。考えたことがないとは申しませんが(母が手話を習ったりしてましたし、外国に旅行したこともありますし、従兄は病気のため日常生活に支障があります)、それを実行するにはまた「知」や「力」も必要となることでしょう。
そしてもちろん、「力」の全てが「悪」ではないように、「知」や「美」も「悪」と同じではありません。
今はこういう考え方をするひとは少ないかもしれませんが、わたしのなかには、「美しきものは善きものであり、それを愛することもまた善である」というような素朴すぎる指標があります。それを「美意識」というなら、これはそうに違いありません。
では、わたしにとって、「悪」とは何でしょうか?
それは、まず第一義的には、わたしにとって不快なものです。美しい悪もあるではないかと言われそうですが(笑)、わたしはそういうものを愛さないような気がします。自分の愚かさにかこつけて恥をしのんで申しますが、わたしは人間の「善」を信じてはいませんが、そうであればどれほど素晴らしいかと夢見ています。
そういえば、ある小説家は「悪とは自分のことしか考えないから悪なのだ」というようなことを書いていました。なるほどな、と思います。
などと話すわたしは、自分のことしか考えられない偏狭な人間です。わたし自身、そういう自分は醜くて傲慢でどうしようもないと感じます。naok1991さんの文章で、「自己愛が低い」などというのを見ると、ドキリとします(苦笑)。わたしは自己愛が強いですが、それは、この世の誰もわたしを愛さないなら、自分がそうするしかないという卑屈な論理からなるもので、今のままでいいとも思っていません。自分のことを素直に愛することができたほうが、きっと生きやすいに違いありませんし、そうなりたいとは願っています。
そして、ひいてはそういう想いが、ひとさまへと向かえばいいとも思っています。
またしても長々と書いてきて、「華麗なるドン引き実績」をいたずらに積み上げてしまったような気がしないわけでもありませんが(笑)、以上が、わたしの思うところです。
なにかありましたら、ご遠慮なくお願いします。
naok1991さんは、わたしに、「頑張るよ」と言ってくれましたので、わたしも「がんばるよ」とお返し申し上げます。
でうあでうわ(チョット真似してみた☆)
