id:florentine は
florentine(磯崎愛)のことを語る

~例によってまとまらないはなし「栗本センセイ追悼的に」~
 
※注意!
 グイン・サーガ未読の方はスルーしてやってください。閉じられないハイクでゴメンナサイ>< デモ語らせて!!
 
ふと、一連の「視線」と「主体」のおはなしを読みながら、栗本センセの『美少年学入門』を思い出す。

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の、「美中年」のところを特に! 
 
栗本センセは、こういってはなんだが、生涯「可愛い仔猫チャン」(シルヴィア姫を思い出してくださいませ)でいたかったひとだから、その男性観というのはたいそう古風(ていうのかな?)で、男性という存在を「愛するもの」として、さらには「綺麗じゃなくてよいもの(ぶっちゃけもっと過激なコトバだったかも)」として位置づけていた。
 
まあでも、じつのところわたしもシルヴィアがいちばん好きだった。
ナリス様(自然にサマがついたよ 笑)も「超お気に!」ではありましたが(笑)、
あの、なんにもできなくて甘ったれた、ほんとうにどうしようもないシルヴィアちゃんというお姫様が、ほんとはすっごくスッゴク好き、だったなああ。
あのころ言えなかったぶん、ここでおっきく叫んどこうっと(笑)。
 
ということで、グインを30巻くらいで読むのをやめてしまった最大の理由は、
「この先、どうやってもシルヴィア姫というひとが幸福にならないじゃないかっ!!」
の一点に集約されるかも。
(他にも色々あるけど、いま思うとそうだなと)
出てきた時点で不幸は確定してたけど、でも、まだそのころのわたしは希望というものを持ってたのですね。または、センセイの性癖がまさかあんなにMだとは気づかなかったのです。鈍すぎだと言われればそうですが、まだ初心だったのさ(笑)。
それにわたしは、栗本センセイみたいに鉄壁のM属性じゃないのですよ(ということが、その後よくわかった。襲い受けは双方の美味しいとこ取りで、要はどっちつかずの覚悟のなさなのかもしれません)。
 
そんなわけで、「この子が不幸になるなんて耐えられないっ!」と思ってやめて、
亡くなられたということで、なんの気なしに手に取ったのがいきなし122巻ですよ!!
よりにもよって、というか、「そういう運命だったのね」とセンセイと自分を繋ぐ糸の強さにある意味感動。オメデトウわたし、みたいな(笑)。よくぞそれを手に取った! みたいな。
(実家では弟クンが全巻あつめているのです)
 
で、はなしは「愛される」と「愛する」なのだ。
122巻を読んだひとはお分かりのように、これ、見事に失敗している。
ハイクなのでこれしか書かないけど(そういえば、90巻ちかくすっとばしたわたしが理解不能にならなくて、それはそれでよいのかな?)、「愛する」ものがその役目を果たしていない。否、果たせない。
わたしは、そのわかりあえなさにすごく共感しましたが。
 
かわいそうな、かわいそうな可愛いシルヴィア、力弱く、賢くも美しくもなく、何も持たず、ちいさなコドモのままのあなただからこそ、わたしはあなたを愛してるよって。
あなたの悲劇は、いまのわたしには快い。
ナルシスティックな被虐でも、サディスティックな虐待でもなくて、ただただそこに「真実」を見たことで安堵する。
安っぽいクリシェに反応しただけではないかと訝りながら、でも、ああいうふうにしかならないであろうと予感して、その後、ほんとうにそのまま運命に流されてしまった二人に、そしてそれをきちんとうだうだ書いてこの世からサヨナラしてしまったひとに、「どうにかならなかったのですか?」という憤りに似た問いを持たず、目を閉じてじっと項垂れるだけで自分もサヨナラできたように思ったのでした。