id:florentine は
florentine(磯崎愛)のことを語る

~勝手に引用~
 
「芸術」というものは、もうちょっとだけ高尚なもので、ハイゾーンなものであって欲しい、っていう願いがあります。これは実を言うと美意識の問題に関わってくるものです。僕の年代の場合にはそういう感覚がありますので、アニメ的とか漫画的な表現に設計していく芸術というのが果たして芸術なんだろうか、というもの凄い抵抗感があります。もの凄い抵抗感があるんですが、これだけ表現媒体、特にIT技術が進化した為に、もの凄く精密な画像がネット上で現れてきている。精密な表現というものがかなり自由にできる様になってきた時に、起こっている事が、もの凄く簡単な言い方をするとコピペなんです。コピペの堆積、つまりコピーコピーコピーを、途中で当然アレンジもしているんですけども、それが必ずしも至高なものを目指しているのではなくて、ポピュラー、みんなが楽しんでいる、という所にかかっている様な気が。ビジネスになるんだったら、それで良いんだけれども、果たしてそのビジネスが長期的に保つのか、という問題。
http://d.hatena.ne.jp/char_blog/20111106/1320586190
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富野オンタイの言葉。
べつに「げいじゅつ」じゃなくっていいじゃん、てことも無論のことあるのはおいて。
「だけどアートというのはそういうものなのか多少疑問があります。そういう疑問を投げかけております」
というオンタイが、好き。尊敬する。
わたしは、やっぱり「藝術」のほうを選びたいと思うのよね。それがアニメや漫画という「ジャンルや媒体の問題」ではなくて。くりかえすようだけど、ガンダムはわたしにとっては藝術・文学だぜ、なので。昨日のじぶんの弱気と関連して。または、古めかしい論なのは承知のうえで。
オンタイ、漱石と鷗外よんでるらしい。そこへ、イク(戻る?)しかないのだよね。それは、そうなのだよ。あそこらへんで消化されなかった吸収されなかったことはいまだに、なんだもん。あのふたり(四迷とかその他いれたほうがいいかもだが、でもまあ、このふたりは「記号」なのでな)にほとんどのことは手をつけられた後さ。ほんとに。ヤになるくらい。
せいぜい谷崎くらいじゃない? 彼らを前にどうにかすかしてられるのは。性格的な問題かもしれないが(ははは。ちなみに三島は鷗外大好きすぎて恥ずかしいのでなあ。谷崎へのあの狂喜のテクストより、むしろ鷗外論のほうが恥ずかしいのですよ、わたし的には。アッチは狙ってるしあの三島のあざとさ全開だけど、鷗外のほうはファンレターになっちゃってて赤面しちゃうのよね、いや、好きですよ、ああいう可愛いところは殊に!)。
そういえば、「中世の組織」「官僚」「我」って語ってるところで思い浮かべられながら出されなかった名前はマキャヴェッリだよね? 言わないところがこころにくい。
オンタイ70歳だそうで、わたしもガムバルよ。
自作品よみかえして凹んでたけどさああああ。うみゅーん。