まあ、わたしが三島の読者に「読者への愛」を語ること自体がヘンなんだけどさー。
三島は、愛されたかったと思うのだよね。大衆大好きだし。
そのくせ読者を信じられなかったところもある。
なにより、自身のことば、文体を、肉体を変えたのと逆に固持しようとして斃れた。
国家なんてどうでもいい。わたしには(いやその、自身のそんげんやいのちやざいさんとうを守るためにはあってほしいですが、そういうはなしじゃなくて)。
けど、日本語の問題で三島が躓いたことこそが問題だ。ことばでしか、ひとは、考えられない。かれの「虚虚」を支えるはずのものの失墜、否、戴冠昇天せしめるものの散逸、霧散、消失こそが大きなモンダイなのだから。
言葉を燃やし尽くすことができなかった。太陽に、なれなかった。
「豊饒の海」。
その白銀が朽ちて汚泥色になろうとも黄金に勝るとわたし個人は思うけど、
彼はきっと、不滅の「黄金の書」を書きたかったはずで、
いつもいつも切ない。
由紀夫さん、
あなたに共感するというキニャールさんはね、あなたの『真夏の死』に同じく王女メディアを描いて、日本に来たのよ。太陽と女についての物語をしたのよ。
生きてたら、会えたのに。谷崎についてだって語れたのに!
あああ。
作家は絶対に死んじゃダメだよ。
絶対に!
florentine(磯崎愛)のことを語る
