id:florentine は
florentine(磯崎愛)のことを語る

~さらに追伸~
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
http://twitter.com/#!/otsukaeiji_bot/status/114558359792922624
『物語の体操』でも、作者の特権性は技術論に還元できるとうそぶいたけれども、でもぼくはどこかに「作者」っていう主体はあるべきなんじゃないかとは思っているのね。(リアルのゆくえp55)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちょっとわかりにくいのは、これが、対談集だから、なんですが(そしてわたしは対談相手のひとをどうやっても好きになれないし信用できないたいぷ)。
わたしは大塚先生の小説教室かよった人間ですし、ああいうひとが大好きなもので(え、いや、だって、こういうこと言い出すのよ? キライになれないよ http://news.livedoor.com/article/detail/5713162/)、あと実際、創作論として非常に素晴らしいとあれこれ小説家のかく小説論をよみつづけてて思うので、先生の小説についての本はおすすめであったりも(小説や漫画原作も大好きだけど、だれかれにすすめて受け入れられるものじゃないかも、と。チュウニなひとにはおすすめしたい!)。
 
わたしは旧いタイプのひとなので、「藝術」というのは畢竟「技術」「技能」「技量」その他などと呼ばれるものであろうという、たいそう古めかしい態度でのぞんでいるわけですが、そこを「気持ち」とか「覚悟」とかでおしすすめると(わたしはたまにキレるとやりがちなのですが)、じぶんの「外」に出て行きづらい。それこそが「外」だというご意見もありましょうしそう思うことがあるからけっこうな勢いで押し切ることもあるけれど、ある程度のところ、ひとに読んでもらう、見てもらうレベルのものにするには「抑制」が必要かと思っています。