~みなが望むような幸福を生きていないが、それで不幸というものでもないだろう~
ブクマでなんか言い足らない気がしたし、浴びるほど溺れるほどものごころつく前から本をよんできて、フルタイムで働いてるときだって年間数百冊本をよんでたわたしの年収はものすっごく低いので(ていうかマジで、生活するって大変と思い続けてるよ、いつだって!)、本を読んだら賢くなって年収アップって、そんな、そんなのえっと、「関係ないよ、ちっとも、ぜんっぜん!!」と思う。わたしが敬愛・尊敬する本読みさんたちだって、そりゃそれこそ広告代理店勤務で年収たくさんなひともいらっしゃいますが、本を読む量が同じかそれ以上のひとでもそうじゃないひと多いし。
あと、ただ本をよんでたって「想像力」のないひとはいるし(わたしも思いやりに欠けるさ!)、文章力が鍛錬されるとは限らないし(あ、言ってしまったよ。でも、だって、そうでしょ? 苦笑)、それに、本よんで「不幸」になることだっていくらでもあるし(あーあーあー……)。
というより、
ここが、本題なんだけど。
賢くなったり年収をアップしたりするために本を読むって、わたし、なんかそれ、イヤよ。いや。厭だわ、そんなの。んーと、べつにそういうひとが世の中にいるのは当然のことのように思うからそこに突っ込んでるんじゃなくて、わたしが、そんなふうに「教育」されるのはイヤっていうか、うちの親はほんとにほんっとおおおおに、どうしようもない親だけど、幼いわたしに本をプレゼントし美術展やコンサートやお芝居に連れてってくれたのは、年収アップのためじゃなくて、わたしの「人生が豊かなものになる」ように願ってくれたのだと、そこは、そう、信じたい。そこそこの学校に行ってほしいとかその他いろいろと「期待」されたことはあるし(そのへんは年収関係あるかもしれないけど)、でもそこは、そうじゃなかったと思うのだ。少なくとも、思いたいのだよ。うん。
「人生が豊かになる」ってヒジョーに曖昧な言い方だけど、たとえば好きなもの、美しいと思えるものがひとつでも多いほうが生きていくのが楽しくなるとか、または苦手なものや好きになれないものを知ってじぶんの感受性を鍛えることで色々愉しいことがある、とかそんな感じ。趣味があると、お友だちも作りやすいしね。逆にまた、そういうものがあれば、孤独でいても救われるし。
わたしは本とか芸術があったから、生き延びられた。そういう力が、それらにはある。絶対に。
だから、世の中うまく渡っていける、っていうふうなものとして捉えられると、ちょっとそれには反撥したい。処世術とかもたしかに本や何かから得られるけど、でも、それってやっぱりわたしからしたらちょっと違うと言いたいし、「社会」とか「世間」とかから身を守るためにあるもの、くらいでイイと思うの。読書ってやつは、とくに。不道徳万歳というか、個人の、それこそ本当にそのひとの「自由」のためにある、くらいな気持ち。
とはいえ、世の中のひとは本よんで賢くなって上手くいくのが幸福な人生ってセオリーなのだろうし、だからたいていのひとは勉強しろって育てられるんだと思うんだけどさ、わたしってやつはそういうのについてけなくて「落伍者」になってるんだろうけどさ(うはははは、今日、親や親戚に会ってきたからわたしの「本音」は痛々しいったらありゃしない!)、
でも、デモ~、
わたし、じぶんのお友達のお子さんに本をプレゼントするとき、そういうことは願わないよな、と。この本、面白いよー! 楽しんでくれるといいなーv それだけよね? じぶんの趣味の押し付けではあるのは無論、認めるv
ただそれだけのはなし、なんだけど、ね。
でさらに、じぶんの「小説」を読んでくれるひとがいたとして、「ゴメンナサイ、それ読んでもなんの役にも立たないです」って、わたしは述べておくし。
てな感じで、さいきんお気に入りのブランショからかっこつけて引く。
「気晴らしこそ、小説の内奥の歌である。絶えず方向を変え、まるで出まかせのように進み、或る不安な動き、幸福な方針へと変形する動きを通して、いっさいの目標をのがれ去ること、これが、小説が小説たることを示す第一のもっとも確かな証拠であった。人間的時間を、或る遊びと化すこと、この遊びを、いっさいの直接的な利害関心や、いっさいの有用性から解放された、本質的に表面的な、そのくせこの表面の動きを通して存在のすべてを吸いとることの出来るような、自由な仕事と化すること、これは容易なことではない」
たぶん、小説を読むという行為すらすでに謎解き、こたえを得て安堵する、または何某かの期待とそれを慰撫する承認欲求的な何かに陥ってしまっているような現在、小説というものの存在自体なかなか「容易なことではない」という状況にあるのだろう(べつにそれらを否定しない。わたしもそういうふうなものをたくさん読むし、書くことも、あるのだから)。
まあでも、小説は、イロンナモノであるのですよ。魔法のようなものです。わかったつもりで相手にする、相手に出来る、安易なものでは決してない。
ついでにいうと、この「時間」とは、死すべきものとして生まれた人間が根源的に抱え込む「有限」のことと思っている。
まあ、なにが言いたいかというと、
今日はストレスフルな一日でした、ってことなのでした。あああ(嘆息)。
florentine(磯崎愛)のことを語る
