~怒ってはいない。けど、でも、たいそう生き辛い~(再掲。ちょいと直した)
というわけで、再掲w
もちょっと書いておくかな、と。
ただたんに、「オレ様のためだ! このわたしが、面白いものを見たい読みたいからだ!」という勢いで(断っておきますが、わたしもいとうけいかくふぁんですので。ゆるしてちょ)。
おはなしは誰でも作れるとわたしは書いた。おおつかせんせいがいってるから(笑)、というより、わたしもそうしておはなしを書き始め、この世のすべてのひとが、おそらくは「読んだから、書く」であると思うから。
さて。
小説家の秘儀がいずこにありや、となると、基本「文体」であるとこたえるのがまっとうであろうと思われる。文体というのは何か。語の連なり、語の遣い方といってみる。
で、すこしここではなしをずらし、「リズム」のある文は容易に作れるが「うねり」のあるそれはむつかしい、と述べるひとがいる。小説を「運動」と考えるひとたちのいうそれだ。わたしもまあ、そう考える。
でもって、リズムは基本、ほとんどのところ音感の問題といってみる。韻文をよみこめばどうにかなる。字面をそろえるだけで生まれもする。
対して「うねり」をもたらすために心がけるのは、「細部」と「全体」をつなげること。「単語」その他の構成要素といちばん大きな「構造」を連動させるだけで、わりと上手くいくはずだ(そんなのあたりまえだろ、と思われるひともおいででしょうが、意外にそうじゃないことが多いんですよ。というより、こういうことをなるたけやらないほうが、実は読みやすいんだよね、これ。エンタメ小説は事物で繋がりは作るけど言葉ではそれをしないことで多くに親しみやすくなるってことで)。ガジェットとテーマを繋ぐだけでもかなり完成度は上がる。けど、ほんとうのところは、構成要素のいちばん小さな部位と全体、その両方きちんと「動かす」ことだ(出来うることなら、双方「逸脱」しながら。同じ方向だと「閉じ」すぎる。というのが、わたしの好み)。見本は、ピンチョンの『ヴァインランド』の冒頭がいい。わかりやすく、かつたいそう美しい。あの一文字一単語一文が連なっていくことで点が線になり絵になり嵩をまし起き上がり意味を成し主題が生まれそれを携え膨らみ揺れ動きながら物語が生まれるさまが見て取れる。本当に、美しい。
わたしは、「強度」のある作品が好きだ。それは、ひともじひともじ積み上げてきたものにしか宿らないものだ。ほかのことばでいうと、丁寧さ、真摯さ、集中力、完成度、高度な技術、情熱、そうしたものの結実だと思う。
小説を形作る最小単位が「語」、「音」なのか「文字記号」なのか、そのへんはおいて、とにもかくにも、「単語」ひとつ「文字」ひとつで作品の生が途絶えることもある。
こんなことを書くわたしもそういう失敗を幾度もくりかえしてきているはずで、けれど、出来うることならじぶんの作品には「強度」があってほしい。
そう考えると、「部分」を寄せあつめて作った作品の「弱さ」(繊細さ、では断じてない)をわたしは受け入れ難いのであった。
となると、となると、となると、ですよ。
こういう世の中ではとっても生き辛い、よねええええ。
と、冒頭の愚痴を吐いておしまい。
人生ほんとに大変だよ。ふう。
