「ラトロは理(ラティオ)と情(アフェクトゥス)はたがいに切り離すことができないと言い――正確を期すると《in ratione habere aliquem locum affectus》〔理にはその一部に情念が含まれている〕――また、理が先走ってしまったため、情はそれにぶらさがっているとも言い、最終的には「理にかなった思考はおそらく、より情の深いものから作られたものだ」とも言った。」
パスカル・キニャール『アプロネニア・アウィティアの柘植の板』「理性」より抜粋。
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わたしは、身も蓋もないことを言いまくるひとが好きだ。大好きだ。
パスカル・キニャールのそれは徹底している。
この小説の主人公、ローマ時代の弁論家(と書くと何かズレそうな気もするがとりあえず)ボルキウス・ラトロの容赦のなさも凄まじくて、ほとんど貪り尽くすように読んだ一篇。
それと。
ここでいう「情」、または「affection」は、先週まで連載してたシリーズ、というか、あの「世界」のはなしの最終話に、当時十代だったわたしが用意していたタイトルである、とだけ記念に書いておくかな。うん。
それはともかく。
勉強したいことは山ほどあって、追いつかないなあと思うこと頻りな毎日です。
おやすみなさいませ。
勝手に引用のことを語る
