id:florentine は
florentine(磯崎愛)のことを語る

~さっこんのもろもろについて、なのか?~
 
ドナティアン・ド・サドはたしかに弱いひとでもあったのだろうが、いっぽうでなんのかんのといかにも貴族らしく高貴であったからこそ、今にいたっても読まれ、つまりは愛されているのだろうと思う。
少なくとも、わたしがサドを愛するのは、牢獄でじぶんの「夢想」を書き綴る見上げたコンジョーに他ならない。無気力にならず、世を、ひとを恨みながら、それに屈するのを潔しとせず、彼の(人間たちの)「真理追求」に邁進した「強さ」だ。人間の所業、ふるまい、本質、そういった諸々を描き出してしまったひとのしたたかさとも言える。
(書きながら唐突に思い出したが、ジュスティーヌが雷に打たれるのは、アセファルなひとたち(笑)からすると、ディオニシウスとの混交的なあれだったりするのか? 父なる神の鉄槌)

わたしには「悪」の命題というものがイマイチ、ていうかちっとも理解できないが(うん、善悪ってピンとこないのよね。美醜はわたしのハンチュウなんだが(て書けるわたし、万歳!)。これが善、これが悪って指差せない)
サドを読まずにはいられないひとの、目のつむれなさ、そこに確かに「ある」ものから退くことをしない選択、その「欲望」を愛する。