連続投稿失礼
いちおまだこの章つづくけど、ここでいったん締めます
2007年3月の段階の作(その後、多少加筆訂正してますが)
あの当時コーチ(と呼んでわたしが勝手に私淑してる、いま大学院生の元スポーツライターさん 私は圧倒的に読書量が少ないですからと謙遜しながら岡本太郎やフロイト全集をわたしにすすめ、藤枝静男や戦争と平和の感想を送ってきてくださるのでプロこわいやだほんとプロこわい、と思うw)に、霜月以降に「小説」になった、と言われた
あの当時もその意味を理解したつもりだったが、今はもっとよくわかる
わたしは長らく色んなひとに色んなことを言ってもらってきて、
そのなかにはほんとに
「ここには小説の核となるものはなにもない」とか「何が言いたいのかよくワカラナイ」とか「なにがやりたいのか謎」とか「どうしてこんなことになるの」とか「永遠のプロローガー」とか「えすいーえっくすじゃなくてSFXシーン」とかその他たくさんたくさんたくさんダメ出しをされまくってきてそのたびごとに泣いたり凹んだりするわけですが(念のためかくけど褒められることもあるYO!)、
わざわざわたしの小説のために何か言ってくださるってすごくすごくすごくありがたいことだとおもってて、
しかもダメ出し系っていうほうだってストレスを感じるかもしれないわけで、
そうしていただいたことばは、わたしにとって「宝物」以外のなにものでもないなあと理解できる程度には馬鹿じゃないし、
うん
そしてなんのかんのと小説のことに関しては凄く打たれ強いというか(笑)、
わたしはじぶんの将来とか色んなことにムチャクチャ不安を感じながらも、
小説のことだけは、なんだかしっかりと、
とくに根拠とかないんだけど(多少今現在はそうした「言葉」が積み重なってそれなりの証左になるだろうとは冷静におもいますが、そういうことじゃなくて、ね)
よくわけのわからない「信念」というか、
「尽きることのない愛」みたいなのがあって、
いま下手でもそのうち絶対に凄いもの書けるようになるぜ、とか楽観的におもってたりするし、
小説にだけは、物語にだけは、おはなしにだけは、
わたしはとても、とても愛されている、とおもえる
両想いを疑わない
相思相愛だもんねー、て笑顔でいえる
それはべつにわたしだけが愛されてるわけじゃなくて、
小説とか文学とか物語というのは、ともかくいつだって人間を愛してるものだとワカッテいる
信じているとかじゃなくて、
信じるも信じないもなくて、それが「真実」だとわたしはしっている
なんか、そういう感じがある
のだな
うん
と
何故わたしは夜中のらヴれたーみたいなのをここにかいてるんだ、いったいw
恥ずかしいひとでゴメン
かっこうつけのために、
『新しい太陽の書』のセヴェリアンの台詞をおいておく
「白状するが、わたしは物語が大好きだ」
「物語は宇宙の計画のなかでは実際に小さなものであるが、われわれ自身のものをもっとも愛さずにいることは難しい――少なくとも、わたしにとっては難しいことなのである」
ていうか、うん、
わたし、セヴェリアンになりたい
http://h.hatena.ne.jp/florentine/225690235634871218
けど、
もうオトコに語らせておくのは御免だぜ
(いえ、うそです、オトコにもなるしオンナにもなるし天使にだって神にだって宇宙人にだってなんにだってなって語るのさw もちろん「磯崎愛」としてもねv)
