id:florentine は
florentine(磯崎愛)のことを語る

品性下劣な自覚がなくて小説書くなんて、そんなの物凄く恥ずかしいわ、わたし!
  
と本音をいいますですよw
もうね、小説家ぐらい厭らしくていやらしい生き物いないから! くらいの勢いで
ソンタグの『他者の苦痛へのまなざし』という本があってですね、
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目次

他者の苦痛へのまなざし
1 1938年6月、ヴァージニア・ウルフの『三ギニー』が世に出た。このなかでウルフは、
2 どこかの国で起こっている惨禍の見物人であることは、典型的な現代の経験であって、
3 苦しみを容認せず、苦しみに抵抗することは、何を意味するのか。
4 死の瞬間を捉え、それをいつまでも記憶にとどめさせることはカメラのみができること
5 現代の期待と現代の倫理的感情の中核には、戦争は止められないものであるにせよ、
6 人はきわめて残忍な行為や犯罪を記録した写真を見る義務を感じることができる。
7 写真のインパクトについて、今や常套句となりつつある、二つの広く流布した思想を
8 これは地獄だと言うことは、
9 或る写真、例えば一九四三年にワルシャワのゲットーで、両手を挙げて
http://www.msz.co.jp/book/detail/07047.html
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とても素晴らしい、みんなに読んでほしい本だと思うそのいっぽう(映像論写真論として読むひともあろう)、わたしはソンタグの書評本のほうが好きだったりする(すみません彼女の小説はまだよんでない)
とここで敢えて言うのは何故かというと、「配慮」しいしい書いているあの書きぶりがどうしようもなく切ない瞬間があるからだ
その件、つまり「書くこと伝えること」に関してここでこれ以上ここで書かないかわりに吐き出しておくと、
表紙はゴヤ これには当然ゴヤを用いる意味がある
さらにいえば、ゴヤは、ついこないだ見てきたからいうけど、
ゴヤは〈戦争の惨禍〉を描きながらおそらく「興奮」していたことだろうと思う 人体の描き方に人物画を積極的にかいた画家の「業」をみるというのは容易い または嗜虐趣味(もしくは被虐? ここは表裏一体)をみるのもきっと「正解」だとは考える(おそらく研究論文の類はあるに違いない、わたしはあの時代は専門じゃないから知らないが、ていうかゴヤのモノグラフだってまともに読んでないよ)
ただそれはあまりみな表立っては言わないし言えることでもすすんで言うべきことでもないのかもしれない
わたしだって、これが誰宛てでもないからつらっと書けるわけで(宛先があってこう書くのはあまりに嗜みがなさすぎる)、小説でもないかぎり日常このへんは言われない(はず、わたしの知る範囲においては
とはいえソンタグは当然ソウイウコトも書いている
わたしは物書き志望なので身も蓋もないこと一生かきまくってやるぜ! と思ってるはしたないひとなので、
たまに世間の「お上品さ」に疲弊してやさぐれることがあるのですよ(べつにオンオフ通じて何かあったわけじゃないです、うささんの「下品と下衆」には刺激されましたけどw なので下劣とつかってみましたw
まあでもそのやさぐれ具合こそが小説を書かせるのだとは思います