(さっき電話いただいてこれを思い出したのでこっちへのせておく)
三島が不遇をかこっていた(?)ことも、実は忘れていたりした
いや年譜を忘れてたわけじゃないんだけど、んー、もっとちゃんと自信を持ち続けていたように勘違いしてた、というのかな
いや小説についての自信はあっただろう、うん
評判が悪くとも、後退した様子はない
いつだってマンネリとは無縁というか、いちおういつでも新しいことをしないと気がすまないひとで居続けた
(で、自信があるから川端のノーベル賞で関係が切れるんだとおもうのよね ていうか、ああ、なんかもう、わたし、自家中毒起こしそうな勢いで三島がわかるといいそうでいやだわってイヤなのかいっ!? うん、イヤ あのひと冷たい冷酷って言われるしちょーぜつ意地汚いのも事実なんだけどたんにたんにほんとに余裕がないだけなのよイキグルシイだけのことなのよ、そう見えないから悪く思われてかわいそうなのだ、かわいそうだなあていうかかわいそうたあ惚れたてことよ的にいってもわたしそういうじぶんがいやだわいやいやというかわたし漱石よんでないよははは)
何を言おうとしたか忘れたじゃないですかっ!?
ええと、
んーと、
そう、
私小説について、だ
日本の伝統、お家芸な代物と三島は相性が悪かった仮面の告白以外そうじゃないとか云うひとがいるんだけどわたしはそうは思わない
三島の小説はいつでも狭義の(それとも広義の?)範疇での「私小説」でしかない
題材を他に求め取材して書いたりしてるから、または小説の構造が西欧古典の構造や日本古典の伝統を堂々と引き継いでるからみんな勝手に誤魔化されてるだけでどのひとも三島(とその周囲の人間)だよ、あれ
(わたしがそうなように と、余計なことを書いておく)
逆に言うと、じぶんのことしか書けないから綿密に調べたり古典の換骨奪胎をしてみせたりしただけのはなしだとおもう(しかしこの手腕が見事なのは鷗外谷崎の衣鉢をついでいるとかいうべきか)
こういう書き方もズルイものではあるのだろうけど
誰もがじぶんの見てる世界からしか描けないとか言い出したらそれで終わりだし
わたしが取材して書くのはこっからさきで、
そのテーマはとうの昔に決まってる
そこへいくまでの道が険しいのだ
しかしそこへ辿り着くには険しい道しかないのだからしょうがない
苦しみながら一歩一歩いくしかないよ
ああもう厄介だなあ
でも好きなことしか出来ないんだもん
やりたいことやりたいんだもん
わたしの場合、我慢してひとさまや世の中にあわせて書いたってつまんないものにしかならないよ
読むひとはすごく賢いしとてつもなく鋭敏だから、そういうの絶対にわかる
それができないからダメだといわれたらダメでいい
こんな大変な時代で、事故や何かでいつ死ぬかわからないのにそんな時間、わたしにはない
わたしの小説がこの世でいちばん好きで何よりも面白いと思うひとがたったひとりいればいい
そのひとが墓場に持って行ってくれたらそれでいい
それ以上のことはない
florentine(磯崎愛)のことを語る
