ちょっとしんみり
去年なくなった祖母はそれこそ「細雪」ごっこみたいにして呉服屋さんを家に呼び娘や孫に着物を仕立ててくれたひとだ
そして自身、とてもお洒落なひとだった
したの着物は母のおさがり、道行は祖母が誂えてくれた
いわゆる美人というタイプではなかったけれど、祖父の仕事柄もあったのか、いつもきちんと綺麗にしてた
娘時代は帯を立て矢に結んでどこかのお屋敷に行儀見習いにいったひとで、むちゃくちゃ気が強く(わたしはエカテリーナ女帝と呼んでいたw)、ハイカラさんのような格好でお正月には兄ふたりとともに水戸の百人一首会場(というのがあるのかよく知らないのだけどどうもそういう行事だかお宅の催しだかがあったそうだ)で嵐のように勝ちまくっていたらしい
七十をとうに過ぎて指輪をお直ししているだけでもびびったが(買うならわかるの、買うなら!)、前もかいたけど八十も半ばすぎて夏の絽の訪問着(附下だけど)拵えて結婚式に出たときの言い種がふるってて、あの年寄りが着るツーピースはだらしなくてみっともないから好かないと平気でいうようなひとだったw
お正月には新しいものをおろすとか、仕来りとかハレとケとかにやたらめったらうるさくて、行き返りにちゃんと両手をついてお辞儀して帰るわたしを気に入っていた(さいしょと最後さえきちっとしめておけばどうにかなるってやつである)
良くも悪くも昔のひとらしい、気骨のあるひとだった(つまり相手をするのは骨が折れた)
とはいえだから、九十八歳までひとりで暮せたのだと思う
ひとに頼らない、甘えない、しっかりしたひとだった
それだけでなく、手先が器用でなんでもじぶんで拵えて塩梅よく暮らしてた
木目込み人形を作ったり(わたしのお雛様は七段飾りで祖母がつくったものだ)、着物を縫ったり、花を活けたりするのも得意だった(←こういうのは行儀見習い先で仕込まれたらしい お茶お花の類、薙刀もやったとかいっていたがどんな具合だったかまでは聞いてない)
百歳に一年満たない、九十九で逝った
わたしがどうにか譲り受けたのは着物をきる(けど祖母のように普段から綺麗におめかししたりはできてない、綺麗にするってやっぱり凄いエネルギーいるもんね)、お茶を飲むといったぐらいのところだが、あ、あと薬缶にお水をくむ、とかね
それでもじぶんはあの祖母の孫だなあと思えることが幾つかあるのは素直に嬉しかったりする
florentine(磯崎愛)のことを語る
