id:florentine は
florentine(磯崎愛)のことを語る

~勝手に反応~
 
藝術作品の解釈を問うのであれば、その他大勢じゃなくて、優れた誰かの解釈とじぶんのそれを比べるほうが断然面白いとわたしは思うのでなあ。名前のない、いわゆる無記名の、責任も何もない「ふつうのひと」なんてものはどう考えてもこの世に存在しないわけで、そういう「普通」ってことに振り回されるのは日常のことであればある程度そうしないとあの「空気」とかいわれる恐ろしい奴にじわじわいたぶられて居場所がなくなることになるのかもだけど(ええ、はみだすと生きるの大変ですわよ、おほほ)、でも、藝術とか文学とかってそういうものから逸脱するためのひとつの面白いツールであったりもするわけで、つまりそこで気にしないとならないのは「質」とか何かであって、普通かどうか、つまり大勢かそうじゃないか、という数の物差しではないはずだと思うのですよ、わたしはね。
わたしはじぶんが凡庸だと思うからこそ優れた誰かに手を引いてもらいたい。その他大勢のいうことを信じて明るい大通りを歩いているはずがいつのまにかへんなふうに間違うよりは、険しい道を、ひっそりとぼとぼ躓きながら、ゆっくりでもいいから自分でちゃんとその道を確かめながら歩いていきたい。
それこそかっこつけていうけれど、ヴェルギリウスに手を引かれたダンテのように、間違いながら、怖がりながら、いやがったり腰が引けたりしながらも(けっこうダンテ臆病でかわいいんだよ、あれ)地獄の底へと旅したい。じぶんが劣っていると思うからこそ、優れたひとに泣きながら(いや、だって、厳しいんだもんw)ついていきたい。マゾだけどw
それで、いつかちゃんと手を引かれずに高みへ上りたい。じぶんの力で。そこまで連れてきてくれた先人へのお返しに。
そんなふうに考えている、大晦日の夜。