id:florentine は
florentine(磯崎愛)のことを語る

いえ、すごくすごくわかりやすい、つまり明確なおこたえで有り難いです!
わたしがぼんやり思ってたことや、そうなのかなあってところがハッキリ掴めました。ありがとうございます。
 
ええと、わたしのなかでは「つながり」ました。
提示してくださった三つの点を鑑みると、
ああいった本を読むたくさんのひとたちは(図書館にけっこうな量の片付け本があることやメディアでの反応を考えると読者は多いわけです)、憑きを落とす、運気が悪くなることを恐れていたり何かしらの霊験を求めたりして「片付け」をしているというよりは、たぶん、本来なら「損得」で語られることを望みながらそれをしている可能性があるんですね。
おっしゃるように「片付けと、成功とか幸福と、あんまり関係ないような気が」わたしもするんですよ(笑)。片付ければ仕事の能率があがるというのも、どこまで本当らしいのか謎だなあと。むろんこれも仕事の内容によるでしょうし、共有スペースに何らかの秩序がいるという理屈は理屈としてとおりますが、ビジネスコンサルタントとかだと明示されそうな事例その他はそこにのってるわけはないのです。そういう細かいところが全部すっとばされてしまってる。なのに、これをすると幸せになりましたっていうひとがたくさんいると書いてある。大きな声でくりかえされることで勝手に「ちから」や「意味」をもってしまう。
それが、「断定」ですよね。旗ふったひとにひとがついていく、と前にわたしが書いたようなことです。ある意味では「脅迫」です。船に乗り遅れるな、です。
「老成してない主人公」の活躍というのも、ある時代の逼迫感を破るための必須条件のひとつと言えましょう。ヒーローに思慮分別があって慎重な判断を下していては時代は変わりませんから、というのが民意とかいわれるものだと突きつけられたら肯かないではない、という気持ちもあります。それから、若いひとというのは、捨てて困るものもないわけです。妻子やら資産やら、それこそ「経験」も少ない。勢いがあっても思慮が足らない、というのはパターナリスム的なものいいでしょうが、賢人政治といったものとは大いに違うことでしょう。
片付けの基本は「捨てる」ことです。
何をどう捨てるのか、「残す」のか、
「清貧」ということばが流行したのがいつだったか忘れましたが、
いまの片付けで望まれているのは「清貧思想」ではないように思えました。
そして、
余剰という言葉で捨て去られていくものがなんなのか、
用心しいしいこの時代と付き合ったほうがよさげだなあと、違う方面からも「確信」しちゃったりしました。
ありがとうございます。