わたし、こどもだからナントカって言われるのちょーちょーヤなんだよねえええええ
ものごころついてからじぶんってそんな変わってないし、読むものだってさほど違わないし、書くものはさすがに「技術」的部分では変わったけど、抱えるテーマなんてものは他に持ちようもないし
むずかしい本よんでると、「わかるのか」とか聞かれて
「年取ってよめば、サルトルだのプラトンだの鈴木大拙だのウパニシャッドだのなんだのって如何にも難しげなものがほんとにわかるのか、うそつきめ」
と思ってました
はい
今も、だって、わかんないまま読んでるもん
大人になったら賢くなるなんてウソだ
そう思ってた
今も、ある程度そう、思ってる
澁澤は、そういうへんなこと云わない大人だと思ったから好きだった(いまもすきよ)
小学生のころ図書館や図書室に並べてあって、あれよむと落ち着いた
わたしを邪魔者扱いしない本だった
三島も、
初めてよんだとき(十五歳だった)、これを十五歳十六歳で書いたのか、びびる! とかぜんぜん感じなくて、
なんでこんなによく気持ちがわかる、または、わかってもらえるんだろうって思った
わたしには、とてつもなく、とほうもなく「リアル」だった
あの嘘くささ、虚の虚とでも呼びたいような感情が、わたしにはぴたりと、それこそ裏表なく浸み込むように寄り添ってくれた
逆にいうと、
わたしは文章のこととか小説のこととか本当に、ほんとに、何も、なんにも、わかっていなかった
そうしたことどもがわかるようになったのは、三十半ば過ぎてからだ
(て、あれか、わたし、そのころやっとひとなみになったってことか??? がーん!)
やっぱり遅れてる、のか、
ちょー、遅い、じゃん
まあいいや
小説というジャンルは、みなが上を向いて満開の桜を眺めてるとき
溢れきったゴミ箱みたり、ひとの履いてる靴を値踏みしたりするような卑しい、捻くれたタイプのひとがやるべきこと、上手に出来ることだと思ってる
外してて、ちょうどいい
