わたしは三島読みだからなあ
べつに11歳でこのくらいかく子は幾らでもあろうが(文章かく子読む子は基本早熟系だと思うのですよ、というか、11歳ゆえに幼くて拙い文章かくだなんて偏見は素朴すぎますぜ、マジで! と思うよわたしは)、そこを見るんじゃないというか、三島の書き割り的な風景描写好みとか、畳み掛け具合とか、そのへんのところが見どころなんじゃないかと思う
あとまあ、べつに変わってないよな、と
三島は幼くとも三島でしかないよ
あれだけからだを変えても、文体かわってないもん(こう書くと乱暴すぎる! けど、エンタメ系雑誌に発表したらしい作品は軽々と書こうとして妙にらしくなく音が乱れてるのみると、もう気にせずそれらしく書けばいいのにって文句つけたくなる程度にはこのひとの文体かわらないもの)
本人がリルケ風といい、しかももう好かんといった16歳の「花ざかりの森」、18歳の「中世における一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃」みても、二十歳前でもふっつううに三島なので、なあ(というか、同じ歌しか歌ってない)
ふっつうに三島ってどういう意味なのかと問われると説明するのがめんどいのだが、処女作にすべてがあるという神話をそれらしく飾れる、または嘯ける程度には三島は三島だという感じである
そこばかり見てるからそう見えるのだと言われたら肯くが、しかし、そこは視えてしまうのだよ、三島がそこをみせようとしてるから
florentine(磯崎愛)のことを語る
