~まとまりなく、このところ朝、ずっとかんがえてたこと~
侯爵様の小説とか読むと奇妙にへんなところが潔癖というか、貴族的だったりする
いやむろん本当にまがうことなく貴族なんだからこういう突っ込み自体へんなんだけど、まじでw
でも、
へんに、卑しくはないんだよな
世間でいうところの卑猥なのかもしれないけど
(あんまりえろいとか思わない、どっちかというと整然としてるから意外に綺麗というか無茶苦茶だが無茶じゃない、サドの数字スキーはこのへんと関係してるよね、きっと)
よーろっぱの没落というと、わたしが思い浮かべるのはマルローなわけだけど
にほんの没落というと、三島になったりする
素朴ですまぬ
それと
三島の太宰嫌いの本質はその作品のリアリティーの欠如であったところに得心したのだが
なんていうか
そこがまた
田舎者が嫌いっていうはなしにつながる「理屈」なあたりに現実批評というか(ここに飛躍をわたしは見ない)、取材して書く作家の「根性」を押し付けられてみょーに困るのだがしかし
それがまたはからずも(?)
フローベールが大デュマに文句(?)をつけた気持ちまでわたしのなかでは重なって
苦笑するほかないなあ
みたいな
三島のジャーナリズム
と本には書いてあったしべつにそれを否定もしないが、
生理、だよね?
許せない、受け入れられないんだよ、そのうそくささを、都合のよさを、甘えを
あまったれであることを意識しているからこそ、どうしてもどうやってもそれに迎合できないんだよ、そっちにいけないんだよ
三島は太宰を下手だとは思ってない
わたしも思わない かなり現代的なことしてる作家だと思った
けど技術のはなしじゃないんだよね
わたしは太宰を片手もよんでないのでなんなんだけど(え? ごたぶんにもれず性に合わないのさ! ほんとに!!)
三島も太宰のふたりして引っかかってるのが「恋と革命」なのよね、きっと(斜陽よんでないのでなんともなんですが)
で、
WEB小説とか一部のラノベなり一般小説を読んでいて、ふと気づくと、世界設定にリアリティーというものがないほうが受け入れられやすいのだよな、とか
つまり、その街に橋が何本かかってて歴史的な経緯がどうで、みたいなものがはっきりと感じられないほうが読みやすいとされているよね?(と、わたしは思ったんだけど)
二次創作(と、あえてここは書く。わたしはふだんファンフィクというけれど)から始めるひとが多いのは、たぶん、すでに「世界設定」がされていることで敷居が低くなっているのかもってことを書いてたのはおおつかせんせいかと思ったけど、正直、あれを初めて読んだときはよくわかんなかったんだが(わたし設定おただから)、
いまは、わかる
(いやまあ、わたしの小説もみんな全部何もかもひとのものまねなので、べつにそれが悪いとかいうはなしじゃないんですけどね、模倣や真似や剽窃からじゃなく始められる作家なんているわけないじゃん、そんなの)
なにを当たり前のことをといわれそうだけど、
でも、
しみじみと感じている、ってところなのだな
そして、
そういう「平らさ」を憎む三島は、
でも、
最後は全部くずしてイっちまったのでなあ
それが彼の藝術美学であったことは理解するも何もないのだが、
しかし、しかしだよ
まあいいや(←をいっ!)
まとまんないのだよ
まとめる気もないのだがな
