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ドゥルーズ『マゾッホとサド』のことを語る

とても興味深いご本の紹介をどうもありがとうございます!
さっそく図書館に予約をいれました、ビンボー人なので本が買えません><
 
>中でも私が「あ!」という感じで蒙を啓かれ、腑に落ちる思いをしたのは、「サディストは制度を必要とするが、マゾヒストは契約関係を必要とするのである」という命題。
 
わたしにはスピノザも弁証法もよくわからないのですが、これはそんなわたしでも、まさに! という感じです
放蕩、逸脱や自由というのはそれを規制する「制度」がなければ意味のないものですし、マゾヒストにはトップ、ご主人様がいないとおはなしにならないというのは想像に難くないです

そしてまた、サド自身の強迫観念というのでしょうか、やけに数字にこだわるところか、構成構造に執着するところとかも、その小説に溢れています そのへん「制度」と関係あるようにも感じます ユルくないんです、小説自体が たとえ繰り返しがあろうとも、というか繰り返しがあることで制度、まあわたしの言葉でゆるく定義すると小説の「わく、または構造」とでもいうものが「強化」されていると感じます
サド、澁澤版は抄訳なのですが、さすがに快い澁澤ならではの訳文ですし文庫で手に入るので手に入りやすいかと思いますのでご興味ありましたら是非お手に取ってみてくださいませ
期待するほどエロくなくてわたしはがっくりしたようなおぼえがありますが(笑)、そして、忙しい現代人が読むには繰り返しにあきあききするところもないではないけれど(敵は牢獄に入ってた貴族ですから!w)、小説家としての技量はたいそう素晴らしいものとおもいます(と、超絶えらそーに言ってみる)
いっぽうのマゾッホはといいますと、わたしもまた代表作しか読んでないわけですが、それはつまり「小説家としては正直、一流ではない」という判断です
あと、
サドは類稀なる名門貴族なせいか、リベルタン(放蕩者)なくせに変なところでノブレスオブリージュをふりかざすかっこよさというか可愛さというか、律義さとか生真面目さというか、んーと、矜持を見せちゃうみたいなところもあって、そのへんも好きだったりします(うまくいえないけど、狡くない、ていうのかな? 根性が卑しくない、というか)
 
それから、マゾッホの代表作にはフィレンツェが出てきます
プラトン主義という文字をみて、あー、とそこでも個人的に腑に落ちました
代表作に出てくるヴィーナスは前述のように《メディチのヴィーナス》でして、フィレンツェ・ルネサンス期において、メディチ家のロレンツォ豪華公たちがいたのは「プラトン・アカデミー」でした(正確には「新プラトン主義」なのでしょうが、そのへんの違いは言い出すとキリがないし知識もないので名前だけ)
マゾッホは、ネタがネタなだけにおはなしとしてはチョー面白いんですけど、オモシロイんですけど! けど、素晴らしい小説家じゃないよな、みたいな気持ちがしました(わたしからすると、小説家というよりディレッタントな物書き、て感じです)
それと、マゾッホの作品の最後のほうに、
  
「(前略)女は男の奴隷となるか暴君になるかのいずれであって、絶対にともに肩を並べた朋輩とはなり得ないのです。女が男の同行者になれるとすれば、女が権利において男と同等になり、教養も労働も男に匹敵するときがきてはじめて可能なのです。(後略)」
 
このへん読むと前半はともかく後半は、「フェミ? フェミなの?」みたいな気もして、あと「薔薇色の靄」ということばが出てきたりで、なんていうか、ツボります(笑) 
思想的なことには暗いので、小説について述べてみました
 
また何かおはなしがありましたら、どうぞよろしくお願いいたします☆