日本橋三越や高島屋にいくと思いだすこと
たしかこの二月のことだったように思うが、実家に帰ったら母が片づけをしていて「もうどうせ子ども生んだりしないんでしょ!? ○○さんのお子さん小学校にあがるっていうからあげるからね!」と憤懣やるかたなしといった調子で、押し入れの奥のほうからわたしが昔きていた服をだしてきた
わざわざとっておかれたものなので当然よそいきで、しっかりと憶えていた
襟と袖やポケットがエメラルドグリーンのヴェルヴェットなボレロ付ワンピースとか白い縁取りと襟にボンボンがついた赤いオーバーコートとかロイヤルブルーのセーラーカラーのワンピースとかそういうの
年取った、いまのわたしもわりと似たような服きてるんだけどw 親のお仕着せでなったわけではなく、こどものころからそういうのが好きだった
そのうちのいくつかはお古ではなく、母が気に入って買い求めたもので、いつもお下がりばかりでかわいそうだと思ってた母がたぶんやりくりして買ったものだというのがわかるので、ママン、ごめんね~とはおもったが、しょうがないじゃんねえ、こういうことは
わたしだって、ふっつうに結婚してふっつうううに子どもうむものと何処かでちゃんと信じてたのよマジで
どこでどう狂ったのかはわからなくはないが、ここはそらとぼけてワカラナイといっておく
そんなこんななこともあり、わたしと両親は正直あまり折り合いがイイとは言えず、なかなかにめんどくさい間柄ではあるのだが、こうした服の趣味とかいったものは双方ともに共通するところがあり(父と母についても実はそのへん不一致がないはずなのだがな)、わたしはシュミではない服を着せられることも嫌いな持ち物を渡されることもほぼなかった
が、着心地、という一点は考慮されず、ウールの着物に文句をいったり化繊を嫌がるわたしにはイイ顔をはしなかった 肌が赤くなって痒くなるからけっきょくは着ないですんだのだけど、ワガママとか癇性とか思われしまいにその結果をさらすと「どうしてそうなの!?」ていわれてたなあ(なので幸田文の『きもの』をよんだときは同士よ! みたいな気持ちがしたw どうしてそうなの、は、そう生まれたんだからしょうがないし、そう生んだのはあなたたちでしょうといつも思ってましたが言っても詮無いことですし実際言ってどうにかなったためしはないのでもうめんどくさいっすよw)
そうそう、わたしが小さなころ、うちは年二回必ず日本橋(銀座の想い出もあるが、やはり日本橋のほうが多かった)のデパートで買い物をしていて(むろんこれはお中元とお歳暮のことなのだ)、いつもは化粧をしない母が髪をきちんとセットしてお化粧をして多少は踵の高い靴をはき、わたしと弟にもよそいきをきせ、父と待ち合わせて食事をして帰ってくる、というのがあって
あのころの我が家はそれなりに「普通の家の体裁」をたもっていたことだなあ
なんてことを、
日本橋のデパートに行くと思いだすのだ
多少なりとも、「幸福」だった記憶というのはあるものだ
florentine(磯崎愛)のことを語る
